日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

一昨日のこと。

本当は昨日あげたかった内容です↓

 

休みの日はブログを書かないという謎ルール。

私にとっては、無理なく続けられる自分の好きなことの一つだから、読んでくださる方のことが気にならないと言ったら嘘になるけど、そのみなさんだって、私のブログを今か今かと待っているわけでもないだろうし、気晴らし程度に一緒に楽しめたらいいのかなと思っています。

 

私の場合、人と触れ合わないとアウトプットすることがないというのも、最近わかってきたので、休みの日に一人で何もしないとなると、本気で何も書くことがないのです。

 

そんな中でも、一昨日の日曜日はほんまに色々考えた。し、感じた。

だから書けるぞと思い、パソコンを開きました。(なぜ日曜のうちに書かなかったのかは、読んでいただければわかると思います)

 

母から、日曜日に祖父の卒寿のお祝いするよと連絡が入ったのが、先週金曜日の午後3時すぎ。

内心、すでに土日の大まかな過ごし方を決めていただけに、内心バチギレ。

うちの両親はそういう連絡がいつも遅いのよ。当日のこともあるし、本当にいつもギリギリ。私たちの存在をなんだと思っているんだろう。

でもここは卒寿を迎える祖父のお祝いと、体調があまりよくない祖母に一回でも多く会いに行くために、折れた。キレても臓物が煮えくり変えるだけで、後味がよくないので、その感情にはきっちりと蓋をして、直前にして予定を変更しましたよ。

 

前日の土曜日は、今があまり体調もよくないことも考慮して、一日寝て過ごそうと腹を決める。(ちなみに、腹を決めて一日休むと決めないと、休みの日をゆっくり過ごせない自分です)

 

迎えた日曜日。

休みの日なのに、6時前に目が覚める。なんでや〜。

せっかく目が覚めたしと思って、そのまま起床。元々、早起きが大好きな性分でして。でも、若干この時点で、動悸がしているし、緊張が半端ない。

出かける日は、早めに身支度をすることが多く、この日も平日より時間をかけてメイクしてみた。髪型に迷ったけど、結局いつものまとめ髪。だいぶ伸びたなあ。

 

時間を持て余したので横になっている時も、動悸がしていて、私は今日のこの予定たちに緊張しているんだなとしっかり自覚する。でもあまり気にしないようにしないと、もう外出もできないような気がしたので、無意識に気のせいと思い込む。

 

時間を持て余したのに、少し遅刻してしまい、すでに伯母(母の妹)が料理を始めていて、手を洗ってから手伝う。

昔は、料理の準備ができるまで、従兄弟同士で遊んだり話したりしていたけど、もう私もいい大人。流石に一緒になって準備しないとと自然と思えて、常識があって良かったと思う。

「何手伝ったらいい〜?」と聞くと、伯母がかわいい声で「できてる料理を2つの大皿に分けて盛り付けて〜」と言う。伯母の声は可愛い。60過ぎた人の声に思えない。いなぁと思う。

 

そろそろ始めるという頃に、母が伯父とその奥さん(血のつながらない伯母にあたるけど、かぶるのでこの言い方)を呼びに母屋へ。私の中で少し緊張が走る。祖父と伯父の奥さんはすこぶる仲が悪い。往々にして最初の原因は祖父にあると思うのだが、お互いに頑固なため、今は冷戦状態で、顔を合わせることすらしない。

 

そんな状態ながら、伯父に引きずられるようにして、いやいややってきた奥さんは、部屋の隅で、文字通り、借りてきた猫のような格好で息を殺して座っていた。

私は何故かその隣に座ることになり、勇気を出して話しかけたりした。

 

きっとさ、顔も見たくないような冷戦状態の人と同じ空間にいるって、(しかもそれをその場の全員が知ってる)死ぬほど嫌だよ。

私だったら仏頂面して、出された食事だって喉を通らないし、手伝いだってしない。その場にいる全員が敵に見えちゃったりして、誰とも口をきこうとしないだろうなって思った。

 

なのに伯父さんの奥さんは、物が足りないと言えば母屋から取ってきますよと走ってくれたり、最初こそ手をつけようとしなかったけど、出されていたお寿司も完食してくれたし。私に彼氏いるのかを探ってくれたりした(その会話の途中、コロナ禍なのに調子こいた私が口の中のものを一部飛ばしてしまった恥ずかしさで、その後の会話が止まる)。

えらい!!えらいよ、おばちゃん!!(めっっちゃ上からやん)

そのぐらいにはいい人だし、曲がりなりにも私の伯母にあたる人だ。

これからも自分にできる範囲では、良く接して行きたいと思った。

 

そして、伯父さんの方はというと、数ヶ月前に「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)が発症し、難病と闘病中の身だ。しかし現在のところはまだ手指の動きが鈍くなっている程度で、普段の生活はまだ自分でできるよう。

元々、漁師をしていて、性格は私が知る限り、お調子者で明るい性格。人をおちょくっては面白がるタイプの陽キャで、見ればいつも笑っていたような気がする。

そんな伯父が、難病を発症してしまうなんて、本人も思わなかったし、私も思わなかった。

自分がこの先、手も足も顔も口も表情も動かせなくなってしまうことが分かっている未来なんて、辛すぎる。

それがまさか自分の伯父に襲いかかるなんて、思っても見なかった。

自分の母も母の妹である伯母も、祖父も祖母も、まだ皆元気である。大事な弟であり息子である人に、そんな病魔が襲っているなんて、考えただけでもしんどい。

 

私も、どう接すればいいのかと思ったが、相対してみてはどうすることもできずに、気づけば見ないふりをして天真爛漫なふりをして接していた。

それがあの明るい伯父にとってはいいのだと自分に言い聞かせた。

 

そんな状態だから、いろんな感情が絡みあいすぎていて、この日はどっっっっっっっと、疲れてしまった。。

 

自分のペースを保って自分を守ること。

伯母(伯父の奥さん)の気持ちを慮ること。

難病の伯父に余計な気を遣わないことに気を遣うこと。(伯父は悪くない!)

弱ってしまった祖母とたくさんコミュニケーションを取ること。

まだまだ元気な90歳の祖父とたくさん話すこと。

準備や後片付けをしっかり手伝うこと。

 

とまぁ、自分で自覚しているだけでも、上記のような状態で気を張っていたんだと思った。

そりゃ疲れるわ。

 

そのあとは友達に会いに、そこから1時間半ほど車をぶっ飛ばし(軽く、住んでる県を横断した)、到着。

お互いに心が病み気味で疲れているので、そのことで2時間ほど語り合う。

 

話している途中に一瞬目眩がしたので、自分の精神状態が結構ギリギリだと感じ、そのぐらいから徐々に話を終わりに持っていこうとする。

楽しいから、もっと元気な時にくればよかったと後悔。

 

トイレに行きたいのを我慢して、とにかく自宅へ帰宅した。

ヘトヘト。

動悸がすごいので、お風呂へはいけず、ベッドでそのまま横になっていた。

寝てしまい、起きたら1時だった。

やっとのことでお風呂に入り、無駄に多い髪の毛を乾かして、倒れ込むようにベッドに潜った。

 

やはり、私は気を回しすぎなのかな?

なんせずっとその状態で生きてきたので、気付いたのはごく最近で。

長所にもなるんだろうけれども、まだ自分の中でそれを好ましく歓迎できていないことは否めず、手を焼いています。全く操縦できてない。

 

とにかく疲れた。

いい疲労感ではなく、疲れた。

絶賛PMS中なことも影響している。

 

 

 

 

 

過去を遡って。

今朝、体重計に乗った。久しぶりの測定。増えていた。見事に体重増加。今は生理周期的に言うと所謂、痩せ期。普段ならこの時期に太ることはないと言うのに。ショックだったけど、ここ数日、服をきた時に体の肉がやけに気になるなと思っていたので、自分の体が顕著に数値化されて、なるほどと合点が行く部分もある。いや、ショックの方が大きい。

 

太った原因は明白で、ここ3週間弱ぐらい、ほぼ毎日電気をつけっぱなしにして寝てしまっている。どこかのネットの情報で、電気を消して暗い部屋で寝ている人よりも、明るい部屋で寝ている人の方が何%か太りやすいというデータをみた。それでなくても、少しばかり調子に乗って食べすぎていた節はあるけれども。代謝が悪くなったのは、間違い無いかなと。私の場合、代謝がよくなればすぐ痩せるから、太ってきたらうまく行ってないことがすぐわかる。

 

くそう。矢田亜希子みたいなスレンダーバディを目指してやる。

 

今朝はいつものごとく、朝風呂になってしまって、無駄に長くて多い髪の毛を乾かして、剛毛癖毛を手なづける時間もとんでもなくかかると言うのに、なぜか寝ぼけた頭で思い立ち、えのきのベーコン巻きを作り始める。レシピも確認せずに、以前インスタのお料理アカウントの動画で見ただけのメニューを、曖昧な味の想像だけして手を動かし始めてしまった。

 

でも意外にまごつく事なく、進んだ。えのきの石づきを外して、半分の長さに切り、長めのベーコンで巻き巻き。4つ作ったらフライパンを熱してひたすら焼く。途中、えのきの味付けが気になり、塩辛いベーコンに塩胡椒を振りかけた時だけ、「やっちまった」と思った。

 

熱々の出来立てのうち、1つを味見すると想像以上にうまい。ベーコンの塩味がしっかり効いてて(塩胡椒の影響はそんなになくて安心した)、えのきの歯応えがものすごく小気味いい。しかも食べ応えもあって、これは人気メニューになりそうな予感(誰の)。しかも簡単。まさに切って巻いて焼くだけ!(何がまさになの)

 

うまく早く出来たことに感動をしている暇はなく、急いで他のおかずと弁当箱に詰めて、いつも通りのバタバタの朝となりました。

 

今日は、金曜日だから、気分は幾分良い。ほんと、現金なやつだよ。

同僚にも気分で接してしまう自分に、ほどほど嫌気がさす。

 

お昼の時間は事務所当番だったので、一人読書にふける。そう、先日読破すると宣言したあの本に夢中になっております。

事務所で一人でいるときは、数年前までのこの職場のことをよく思い出す。数年前には同期もいたし、先輩は何人もいた。そんな賑やかだった時から今を思うと、自分だけ取り残されてしまったような、ひどく寂しい気持ちになる。

 

今は後輩2人の先輩であるわけだし、今更誰かに甘えたり、自分から近寄っていって距離を詰めたりなんてこと、できなくなっております。

 

と、ここまで考えたところで、ふと気づいたことがある。

 

自分は中学2年の時に5人グループの中でいじめにあったことがある。

そのことが少なからず、今の私に影響しているのではなかろうか。と。

 

5人のうち、私を含めた3人が一人ずつ順番に無視されていって、私は一番最後に標的にされた。

思春期真っ盛りの中2女子がやりそうなことだと、今なら思う。

今までどこへ行くにも一緒だったのに、急に声を掛けられなくなり、気づくと移動教室の移動も一人取り残されていたり、私だけ荷物を持ってきてもらえなくなっていたり。完全に自分が元からそこには属していなかったように扱われてしまった。

 

最初のうちは間違いであって欲しい、私の勘違いだ、と思って、笑顔を引き攣らせながら話しかけたり、輪の中に入ろうと試みたりした。でもその度に私の思いとは反対に、くっつかない磁石みたいに、みんな私から離れていき、距離を取られてしまった。

 

おそらく私は、その時に、自分から他人に近づいて拒否されることへの恐怖心が、心に根付いてしまったんだと思う。それがたとえ、小さな誘いを断られるような些細なことであっても。自分の心の中の血の乾かない生傷に触れるように、大きく痛みが響いている感じ。

学校や寮生活や職場において、自分の方から距離を詰めることがなくなった要因は、14歳の時の出来事にあると確信した。

 

一匹狼にもなるわなぁ、そりゃ。

でもその恐怖心って、どうしたら拭えるんだろ?

心理カウンセラーの人、教えてください。

悪循環の連続で、切実に日常生活に支障をきたしてるんですが。

 

あの時の子達、元気かなぁ。そのうちの一人とは、今も繋がりがあるけど、後の3人は本当に分からない。できれば、当時若すぎたがゆえにやらかしてしまった諸々を含めて、笑い合って話がしたいなぁ。

 

 

 

そもそもアイデンティティとは何という問題になってくる。

 

先日友人に、「そんな一匹狼にならんでも〜」って言われた。

一匹狼って、「群れから離れて、周りを気にせず、我が道を行くタイプ」ってなってるよ。友人の言い方にも、一匹狼で平気だからあえてそうしてるんでしょっていうニュアンス入ってる。どうして人って、こんなにあっさり他人の性格を決めつけられるんだろうね。好きで一人きりになってるわけないじゃん。ていうか、一人嫌だよ。中学の時、いじめでハブにされた時から、怖くて怖くてたまらないよ。

 

人に嫌われるのが嫌だし、自分が受け入れられていないのを確認したくないから、自分から誘うということが苦手。断られると、そこで試合終了。ホイッスル鳴る。当分その人には連絡できなくなる。だから、受け身だと分かっていても、求められないと輪の中に入っていけない自分がいるのは事実。だから、結果的によく一人になる。

弱いんだな、つまりはメンタルが。

 

そもそも愛嬌のあるキャラでもないし、老け顔で妙に落ち着きすぎているのもあって、一人が似合ってしまうから、そうなっても、違和感がない。

 

強そうな見た目や話し方や振る舞いが、おそらく私を高飛車な人間に見せているんだと自覚している。でもそれを自覚するのが少し遅かったのが問題だったのよね。

みんなと離れて一人でいても、「あなたたちと私は違うのよ。話しかけてこないで」って見えてるんだと気づいた時には、もう結構いろんな人と距離ができていたし、今更そのキャラクターをどう変えていけばいいのか、誰に弱音を吐いたらいいのか分からなくて、現在はめでたく孤独に苦しむ日々を送っている。

いやこれ、冨岡義勇やん。(ネタバレ)

 

この自分自身の矛盾とどう付き合って生きていけばいいのかという問題に、日々悩まされている。この悩みに、大袈裟でなく24時間365日頭を悩ましている。

 

ここまでくると、もう自分がどんな人間なのか、何をしたいのか、どういう話し方をするのか、どういうことが好きなのか、分からなくなってくる。

アイデンティティの崩壊ですね。ベルリンの壁の崩壊よりインパクトあると思う。(ちょっと何言ってるかわかんないです)

 

でも本当なんだよねぇ。

ふと発言した言葉を、その都度頭の中で反芻するクセがついてしまったんだけど(これは、自分が言ったことが相手にどう思われているか心配でするようになった)、その時に思うのが、声のトーンは誰のマネ?とか、今本当にそう思った?誰かが同じこと発言してなかったっけ?とか、その笑顔は本物?とか、自分の行動全てが誰かの模倣に思えてしまって、自分のオリジナリティのものがない私になってる、ということなのです。

 

うん。今文章にしてみて、少し整理できた。そう思ってる、私。

 

え、大丈夫かね、私。

今後、人間の世界で人間やっていけるんかな?

誰か教えて?

 

そんな自分には今、何が必要なんだろう。

それが分かれば、少しは希望が見出せるんだけど、何もない。

やりたいこともないし、身動きが取れなくて息が苦しい状態。

呼吸したい。

右も左も前も後ろも上も下も、硬いコンクリートみたい。

 

病んでるなぁ。人生を進むエネルギーみたいなものが私にはない気がする。

でも本当に病んでいたら、仕事にも来れないし、お腹にお肉もついてないだろうし、お昼ご飯までにお腹が何度もぐーぐー鳴ることもないだろうし、お風呂にも入れないだろうし、まだ大丈夫か!

 

甘えたこと言って、すみませんでしたぁ!!

完全にエネルギー切れるまでは、匍匐前進でもなんでも進もうと思います。

 

 

 

取り込むことは少なからず日々の生活に影響を及ぼしていると思う。

今週のお題「読書の秋」

 

最近、アウトプットの方が多い気がする。

色々感じることは感じるんだけど、愚痴が多い。

元々いつも文句ばかりが浮かんでくる人間だから仕方ないのだけど、さすがに行き過ぎな気がする。

高尚な内容のインプットが少なすぎる。

 

そこで気づいたのが、最近、全く本を読んでいない!

あんなに本の虫だった私が、ここ数年間、全く読んでない!

読みたい本がないと言えばそこまでなんだけど、そればかりが原因ではないと思う。

自分が本を読むベースが整っていないのだと感じる。

 

読みたい欲が本当に少ない。

以前は読みたくて読みたくて仕方なくて、毎日のように書店に通った。

 

ポップを見るのが楽しかったんだよなぁ。

ほとんどポップの内容で決めてた。

 

私の好きなジャンルは、ミステリーもの。

これも選り好みせずにひたすら読み続けてきた中で分かったことだけど。

 

きっかけは大学時代のゼミの先生から勧められた一冊の本。

 

東野圭吾作品だった。

傑作だ!と思った。こんなふうに一気読みした本がそれまでにあったかなと思った。

その時は読み終わって満足したものの、それで終わった。

その熱が再燃したのが、なんと社会人4年目ぐらい。

 

ハマるとそれだけになりがちな性格のため、東野圭吾だけをひたすら読み漁ってました。

だいたい読んだかなぁ。

 

東野圭吾作品はね、細かいところが気になる性格の私にはぴったりなのよ。

全ての伏線を綺麗に回収してくれるから。すごくスッキリするの。だからかな、ハマったの。モヤっとすることを残さないし、文学的でもないから、ボンヤリしている内容もない。

スッキリ読み終えられる。

文学作品って、なんであんなに意味不明なの。お子ちゃまと言われても私には理解不能です。スッキリ明快な方が面白くない!?

 

という私も、一つだけ村上春樹作品を読んでいる。

「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」

ていうかこれ、数年前に読み始めていまだに読み終えていないのだけど。

でも、唯一、これは読める気がする!って思った。

(数年かかってる段階で、ほんまかそれ、と思われても仕方ないと思う。)

 

今再び読み始めているので、また読み終えたら、読後感をここに書き殴りたいと思います。

 

それにしても、今日は眠い。さっき座りながら居眠りこいて、ビクってなった。

恥ずかしい。

 

 

 

そこにあるものが大変貴重だというおはなし。

昨日のこと。

思い腰を上げて、夕方にやっと生活必需品の買い出しに出かけた。

 

何軒もはしごするのは、車の乗り降りがしんどくて嫌いだけど、今回は求めるものがいつものドラッグストアになくて、渋々別のところに行くことにした。極力近いところを選ぶけど、そこまで行くのにすごく混むのがわかっていたから、めんどくささがマックス。

 

行く途中にある、北欧雑貨のお店に寄ることを思いつく。

数年前から気になっていたとこ。けど、そのおしゃれがよく分からなくて、なかなか敷居を跨げなかったところだった。でもそれがし最近、北欧に興味が湧いておる。そしてYouTubeを見漁っているうちに、あの店に自分の好きなものがあるのではと気づく。

前にも一度入ったが時間がなくて一瞬だったので、今回はじっくりお店のものを見て回ることができた。店員は、くまさんみたいな雰囲気の中年男性がお一人。

お店に店員と自分一人って、緊張しない?なんでだろ。自意識が過剰なのはわかっているつもりだけど、それでも好き勝手にお店を見て回れず、頼まれもしないのに、「この棚可愛いですね〜」などと言って、わざわざ店員に愛想を振りまいてしまう。まじ無意味極まりない。

 

途中で入ってきたお客さんは顔馴染みなのか、店員さんとも「あ、どーもー」てな雰囲気で話していた。でも結構喋ってたな、そのお客さん一人で。少し喋りすぎではないですかと思うぐらい、甲高い声で商品について、あーだこーだと独り言ついていた。

その時にタイミングを見て出ればよかったのに、その会話に圧倒されてぼーっとしていたら、あっという間に出て行ってしまった。

嵐の後は沈黙がさらに苦しくなるという現象に苦しめられながら、もうここまで居座ったら、何かを買って帰らなければならない客になっている自分を強く強く意識しながら、品定めをしていた。汗が出る。

 

でもその店、高いのよ。北欧雑貨ってなんであんなに高いのかね。北欧の人々の生活水準の高さをイヤでも見せつけられるよ。いや、そこに憧れてるんだけどさ。

スプーン1つが1,540円。

前から、憧れていたカトラリーだったので、それを買うことにしたが、高いよ。今使ってるやつの15倍ってなに。もう一生涯使い続けてやる。くそう。

 

ふらりと寄っただけの店で、高級スプーンを手に入れた私は、今日の目的を完了すべく、ドラッグストアに向かった。テッテレー。

小さめの布マスクが欲しかったのだけど、以前ここで買ったものと同じのが見当たらず、似たようなものを手にとって、飲んでた弟の台湾土産の烏龍茶が切れていたので、たまたま目に止まったごぼう茶も購入。お菓子数種。

 

お菓子買ってレジに向かう時のこと、お菓子の通路の右側に赤ちゃんと父。左側に若夫婦。右と左のほぼ同じ位置で広がっていたから、私が歩いて通る隙間がほとんどなくて、イライラした。よけもしない。私だったら人がいたら、「あなたのこと認識できていますよ。ちゃんと避ける意思ありますよ」って、行動で表すけどな。なんで人が通るのに、平気で通せんぼみたいなことできるんだろ。

世の中終わってませんか?

HSPつら。

 

 

地元の友達と22時から電話することに。

色々考える子で、私の話す内容に、真面目にうんうんと頷いてくれて、かわさずに向き合ってくれて、同じ感覚で話ができる子。

簡単に言えば、馬が合う。よき。

結婚について語り合う。

自分の仕事関係の人以外から、「結婚観」という言葉を初めて聞いた気がする。嘘かもしれないけど。やはりこの子は私の話をわかってくれる子だと感じて、嬉しくなる。

 

私の「先行き不透明」を理解してもらえて、まじ感動した。

その子にとって、今が初めての先行き不透明かどうかは分からなかったけど、同い年ということもあってか、そこはすごく分かり合えた。

 

電話しようと言えば電話で話してくれる友人がいることにひどく感動するし、こんな私としょうもない会話をしてくれることに感謝が込み上げる。

そして、普段なら見逃しかねないような会話の中の些細な感動や驚きが、ひどく眩しく見えたりもする。あのほら、暗いところにいると普段どうってことない証明がバカ眩しく見えるみたいな。

とても価値があって、貴重で、、、あと、儚げでもあるよね!!

当たり前ではないものだと、再認識。

大事に大事に、感謝しながら、そういった友人たちと、これからも繋がって行きたいと強く思う。

ちょっとおセンチな夜になったのでした。

 

 

 

 

 

花金の夜に思うこと。

金曜日。

もう終業まで残り10分。早く帰りたいのに、今日に限って隣の市まで行かなければいけない。帰りはおそらく21時過ぎ。花金なのに。

そういえば、花金という言葉を知ったのは、つい最近だったような気がする。世間知らずもいいところ。大学時代や会社に入ったばかりの頃にだって、飲み会などという文化を経験してこなかったぐらいだから、仕方ないのかな。

 

相変わらず、目がしばしばして右目が霞む。処方された目薬を、所定の半分ぐらいの頻度でしか差してないから、そりゃ効果も薄いですよね。そして、日に日に光を眩しく感じるようになる。もうほんと、お日様の下、歩けんよ。太陽好きなのに。

 

ここ2週間、毎日帰ってそのままの状態で朝まで寝こけるという日が続いています。一応うがい手洗いはして、お腹は空くからご飯も満腹まで食べるけど、その後に動けなくなる。寒いからちょっとだけ布団かぶって休もう〜と思ったが最後、朝を迎えてしまう。お分かりだろうが、化粧は落とさず、コンタクトも入れっぱなし、お風呂にも入らず、洋服はストッキングさえも脱がずにそのまま、テレビはつけっぱ(これはオフタイマーしてるから朝起きたら消えてるけど)、部屋の電気もつけっぱ。最悪なのは、ご飯をしっかり食べているのに、歯磨きをしていないということ。2週間歯磨きせずに寝ていたら、そりゃぁ治療した歯も、すぐに悪くなるよね。頭を下や上に向けるだけで、痛みを生ずる箇所が出てきてしまったよ。最悪。近い将来、私は歯抜けババアになって、結婚も出来ずに一人死んでいくんでしょう。

 

と、一昨日反省致しましたので、昨晩からはきちんと人間らしい生活に戻そうと努力をしております。

 

今日も今日とて、本当に暇な1日だった。仕事、ないってどういうことやろか。

 

そんな暇な日常だからか、ふと今の不安な気持ちについて、考えていると、明白になったことがあった。

 

 

私の人生、就職して10年経つごろまでは、順調だった。いやほんと、今振り返ってみて驚くほどに順調だった。次へ次へと目標を掲げながら、時に与えられながら、ここまでくることができていた。

 

しかし、今は、だ。生まれて初めて、人生の目標や進みたい道が見えず、ぽっっっっっっかりと目の前に空いた空白をただどうしようもなく見つめているような感覚なのだ。

本当の本当に、今までこんなこと、なかった。

 

親の期待に応えようと必死で勉強した学生時代や、職場の上司や先輩に褒められ・認められたいと頑張った若かりし時代。同期と競争するように結果を出そうと躍起になった。結果を出せば喜んでくれる人がいて、認めてもらえる状況が確かにあった。

でも今は違う。どう見ても、もう誰かに褒められたいから頑張るような歳じゃないし、認められた先に、何かがあるわけでもない。

よくいえば、ようやく本当の意味で自分のために生きられる時が来たのだろうが、急にいきなり、「さぁどうぞ今日から自分のしたいことに向かって行動を起こしてください」と言われましても、ないものはないし、無理なものは無理だ。

 

職場が年増の女をいつまでも置いてくれているようなところならよかったけど、うちは仕事らしい仕事もないし、キャリアを積んできたわけでもないから(ずっと若手のやる事務仕事)、この先、何かできる仕事があるわけでもない。資格もない。

初めての先行き不透明。

 

見ないふりをしていたのかもしれないけど、なかなかに崖っぷちである。あたし。

 

もちろん、できることならば、現時点で一番いい選択肢は、最&高なパートナーと結婚することだ。

しかし相手がいない。

 

両親にも、今すぐにでも、婚約者を実家に連れて行くからと連絡して安心させてあげたい。そしてそんなのは、もう本当に何回妄想したか分からない。

 

よく、結婚したい!と思っているうちはいい出会いはなくて、自分の好きなことをしたりして関心が結婚に向いていない時に、いい出会いがあるっていうけど、私の場合、、機を熟し過ぎていてもうそんな悠長な時間を過ごせるほど余裕ないんすよね!

焦って、微妙な結婚にとりあえず落ち着くのか・・

 

とまぁ、自暴自棄になる程度にはもう色々末期状態です。

 

そもそも、私を迎えに行くと大学時代の先輩同期後輩たちに豪語して、私にも匂わせておきながら、連絡ひとつねえなぁと思っていたらギャンブル依存症で借金まみれになって瀕死の状態になっていた元彼は、私のことをなんだと思っていたんだろうと、いつも不思議になる。

その瀕死の状態を脱するきっかけを作ってやり、周りの方々の助けで全ての借金を相殺することができたのは私のおかげなのに、私が電話で昔のことにキレたり、PMSで精神的に不安定になることがあることを言った途端、もうきっぱり忘れて前に進むと急にそそくさと私の前から姿を消したのだ。それまではなんとかして元の鞘に戻ろうと必死こいてきていたのに。一応待っていたから大学時代も恋愛せず、遊ばず、ここまで頑張ってきたのに、最後これかよ。テメェは会社トップの姪っ子(私の同期)とお見合い結婚でめでたく大出世かよ。

 

とまぁ、ここまで書いただけでも、自分の人生ながら、人生、何があるかわかりませんなぁと感慨にふけるのでした。

 

もう今日は、帰って録画したモノマネをお互いの家で同時に見ながら楽しむ夜だけ楽しみにすることにする。

 

 

 

 

 

自分が自分ではない感覚のはなし。

一人でいると、嫌な想像や嫌な記憶や嫌な考えばかりを巡らせてしまうクセがある。

 

 

ついさっきもお昼寝中にこんなことを思った。

私は今、自分に自信がなくて毎日がとても苦しい。いつも人の目を気にして発言しなきゃいけないし、自分の行動がどう見られているかとても怖い。今まで平気で話しかけていた人にも、怖くて自分から話しかけられない。生活がとても億劫だし、私を取り巻く世界が恐怖で満ちている。

 

でも数年前まではそうではなかった。その時の自分が良いかとか、好きかと聞かれればやはりそんなに好きではなかったけど、今より毎日の生活は生き生きしていたし、彩があったような気がする。

そんな今の状態を嘆くにつけ、なんでこうなったかを反芻してしまう。

 

一番最初は、私の振る舞いや言動に対する周囲の不満の声が上がっているという先輩からの指摘だった。

こうして文字にしてみると、よくある事柄に見えるなぁと、自分の身に起こった出来事なのに、そう思う。そしてこうして文字にしてみると、大したことでもないように見えるから恐ろしい。今まで自分も人の身に起こったこととして読み流してきたかもしれないこの出来事が、自分の身に起こったのだ。先輩から伝えられた時、恐怖で体がガタガタ震えたのを覚えている。

 

なぜこのことが何年経っても私にまるでトラウマのような感覚を残しているかといえば、いくつか理由があるが、特に要因となっているのは、「間接的に」私の評判が悪いということを聞かされたからだと思う。

直接、そう思っている人から言われるのと、誰が言っているのか・思っているのか、わからないようにして、あなたはそう思われていますと言われるのとでは、雲泥の差がある。

もちろん自分に対しての意見はしかと受け止め、反省をしたつもりだが、その日から私は周囲の人に対して、疑心暗鬼になってしまった。

すぐに思い浮かぶ顔は数人あったが、それだってただの私の推測でしかない。もしかすると、私の想像をはるかに上回る多くの人が(実際にその時はそう言って良いぐらい多くの人と関わりがあった)私に対してそういった思いを抱いているのかもしれない。

 

もうその日から、私は完全に私ではなくなっている。

自分の言っていることが相手に対して『正解』かどうかを見極めながら発言している。

 

苦しい。どうして私は普通にふつうの発言が出来ない人間なんだろう。そうやって自分に対して攻撃的になることもあれば、そんなやり方で私に意見をぶつけてきた先輩たちに対して、なんであんなやり方で私を責めるのかと、問い詰めたい気持ちになることもある。あの時の私は、どうしてその時に反論しなかったのか。良い子すぎやしないか。自分に辟易する。受け止めなきゃいけなかったのか。どうしてそんな言い方するんですか、私は傷付きましたとどうして言ってはいけない空気があったのか。マグマみたいに、そんな感情が噴出してくる。とめどない。まさにマグマだ。

 

でも分かってもいる。どうして今までこの感情を表面化せずにここまでやってきたか。その先輩たちはその後も私の味方でいようと努力してくれたからだ。そして私も、そんな先輩たちのことが好きだし、嫌いになりきれなかったからだ。あのやり方には絶対に問題があると思うし、今でも思い出すたびに怒りの沸点は超えてしまうけど、今でも関わり続けてくれるし、私を可愛がってもくれる。

 

私は本当にチョロい人間だと思う。忘れっぽいのも手伝って、怨嫉になっていないのが、本当に偶然の産物だ。