日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

すっぽかしを受けた先にあるもの。

昨日、友人に約束をすっぽかされた。正しくは、すっぽかされ未遂をされた、ですが。

先週、LINEにておうちに行くという連絡をして、約束を取り付けていたのだが、友人はどうやら仕事の忙しさもあって、その日の同じ時間に別の大事な用事が入ってしまったので、私との約束をすっかり忘れてしまったようなのである。

これが不幸中の幸いで、普段、目的地に行くときには以前の約束を信じてそのまま向かっていた私ですが、その日はたまたま「参ります!」と一言連絡を入れたのでした。それに慌てた友人から電話があり、「ごめん!忘れてたぁ!」と。事の事態が明らかになったという感じで。ほんと、留守の友人宅に行って絶望感を味わなくて良かったと思いますが。

 

別にね、哲学的なことをこの出来事から導き出すわけではありませんよ。私は聖人ではないから。えぇ。正直言って、腹が立った。だってはるか昔にしたわけではない約束を、こうも簡単に忘れる!?って思いませんか。

そんでもって私はその時、絶賛『自己否定期間』中だったので、その友人からの態度でそこにさらに拍車がかかり、廃人のようなに落ち込みました。

「どうせ私なんて、約束忘れられてしまうぐらい、影の薄い存在なんだ。」「どうせ私なんて、友人からしたら、大して大事な存在でもなんでもないんだ」「もしかしたら大した存在ではないことを通り越して、友人にとっては私は来てほしくないレベルの鬱陶しい人間なのか。話して元気が出るから会いたいなと思ってもらえる人間なら、こんなことなくない!?」って、自分を追い込めるだけ追い込むという拷問をしました。

 

人間ってきっとそんなに物分かりよくは作られてないと思う。現に、そうあろうとして我慢したとしても、必ず爆発の時はやってくるから。だから私も、人には言わないけども、自分の中でぐらい感情爆発させるわい!と、自分の心に正直に思っていることを爆発させまくりました。

 

でもそれによって一つだけ前進したことがあります。感情をしっかり吐き切った時に、割と冷静になれるんですね。だから、その先に、思考を巡らせることができるタイミングがやってきます。その時やっと、相手の立場になって考えることができる。

まぁなんて幼稚なんでしょう、自分は。そんなことしなくても優しくて思いやりのある人なら、最初からそこまで思考を巡らせていたでしょうに・・。そこは根っから残念な人間と自覚するしかないとして。

そうなった時に、「あぁ、きっと仕事とかプライベートとか、頭ごちゃごちゃになるぐらい色々あって、急に入った予定が混乱したんだろうな」とか「そういうこと、私にもあるじゃん!」とか、思いを馳せることができるんですよねぇ。

 

早く連絡して、最近忙しくない?心を大事にできてる?と聞いてあげたくなる私なのでした。