日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

自分が自分ではない感覚のはなし。

一人でいると、嫌な想像や嫌な記憶や嫌な考えばかりを巡らせてしまうクセがある。

 

 

ついさっきもお昼寝中にこんなことを思った。

私は今、自分に自信がなくて毎日がとても苦しい。いつも人の目を気にして発言しなきゃいけないし、自分の行動がどう見られているかとても怖い。今まで平気で話しかけていた人にも、怖くて自分から話しかけられない。生活がとても億劫だし、私を取り巻く世界が恐怖で満ちている。

 

でも数年前まではそうではなかった。その時の自分が良いかとか、好きかと聞かれればやはりそんなに好きではなかったけど、今より毎日の生活は生き生きしていたし、彩があったような気がする。

そんな今の状態を嘆くにつけ、なんでこうなったかを反芻してしまう。

 

一番最初は、私の振る舞いや言動に対する周囲の不満の声が上がっているという先輩からの指摘だった。

こうして文字にしてみると、よくある事柄に見えるなぁと、自分の身に起こった出来事なのに、そう思う。そしてこうして文字にしてみると、大したことでもないように見えるから恐ろしい。今まで自分も人の身に起こったこととして読み流してきたかもしれないこの出来事が、自分の身に起こったのだ。先輩から伝えられた時、恐怖で体がガタガタ震えたのを覚えている。

 

なぜこのことが何年経っても私にまるでトラウマのような感覚を残しているかといえば、いくつか理由があるが、特に要因となっているのは、「間接的に」私の評判が悪いということを聞かされたからだと思う。

直接、そう思っている人から言われるのと、誰が言っているのか・思っているのか、わからないようにして、あなたはそう思われていますと言われるのとでは、雲泥の差がある。

もちろん自分に対しての意見はしかと受け止め、反省をしたつもりだが、その日から私は周囲の人に対して、疑心暗鬼になってしまった。

すぐに思い浮かぶ顔は数人あったが、それだってただの私の推測でしかない。もしかすると、私の想像をはるかに上回る多くの人が(実際にその時はそう言って良いぐらい多くの人と関わりがあった)私に対してそういった思いを抱いているのかもしれない。

 

もうその日から、私は完全に私ではなくなっている。

自分の言っていることが相手に対して『正解』かどうかを見極めながら発言している。

 

苦しい。どうして私は普通にふつうの発言が出来ない人間なんだろう。そうやって自分に対して攻撃的になることもあれば、そんなやり方で私に意見をぶつけてきた先輩たちに対して、なんであんなやり方で私を責めるのかと、問い詰めたい気持ちになることもある。あの時の私は、どうしてその時に反論しなかったのか。良い子すぎやしないか。自分に辟易する。受け止めなきゃいけなかったのか。どうしてそんな言い方するんですか、私は傷付きましたとどうして言ってはいけない空気があったのか。マグマみたいに、そんな感情が噴出してくる。とめどない。まさにマグマだ。

 

でも分かってもいる。どうして今までこの感情を表面化せずにここまでやってきたか。その先輩たちはその後も私の味方でいようと努力してくれたからだ。そして私も、そんな先輩たちのことが好きだし、嫌いになりきれなかったからだ。あのやり方には絶対に問題があると思うし、今でも思い出すたびに怒りの沸点は超えてしまうけど、今でも関わり続けてくれるし、私を可愛がってもくれる。

 

私は本当にチョロい人間だと思う。忘れっぽいのも手伝って、怨嫉になっていないのが、本当に偶然の産物だ。