今のうちに大事なことをちゃんと手元に置いておこう。
「忙しいうちが花」
「求められているうちが花」
とはよく言ったもので、近頃そんなことを胸に迫って考えるようになった。
長きにわたって、日常の当たり前だったことが終わりを告げ、
その慌ただしかった日常が静かになりつつある。
いわゆる、一つの節目を迎えたことになるだろうと思う。
ひどい時には、いつ寝て、いつ起きたのかの区別もつかないような日々が続くこともあって、自分が今何をしているのか、いつも朧げな時もあったっけ。
振り返ってみてもそれらの日々を克明に思い出すことは難しい。
そんな毎日だったから、渦中にいる時はその現実から逃げたくて逃げたくて仕方なかったのも、事実で。
正直いつもそんなふうに思っていたと言っても過言ではない気がする。
積極的に精力的に動いていた時もあれば、要請を受けてそれに応える形で動いていた時もある。
しかも、どんな時にも漏れなく毎月のPMSに悩まされながら。
そして私は、人前に出るのが得意なタイプではない。大勢の人を引っ張っていける器もない人間だった。
でも、それを求められていたから、無意識にストレスが溜まっていて、そのアレルギー症状のようなものが、あちこちに出てしまって大変だった。
だから、逃げたいと思う理由なら掃いて捨てるほどあった。
そして、紆余曲折ありながら、なんとか耐えた。その場に居続けた。(実質、本当に「居続けた」だけなのだと思っている)
頑張ったなぁとはお世辞にも言えないけれど、
逃げなかったなぁとはしみじみ思える。
だからと言って、あの日々に戻りたいかと聞かれれば、
「もう結構です」と思ってしまうのがこれまた現実ですが。
という経緯を経て今。
急にヒマ。
こわ!!
ソワソワする!!
何をしたらいいのか、、とまでは申しませんが。
忙しい時に、自分であえてつくっていた休みとは何かが違う。
今まで当たり前に連絡を取り合っていた人たちとも連絡を取り合う正当な理由がない。
うむ。。
単純に寂しい。
と言う具合に、冒頭の言葉が頭を過ったわけなのです。
仕事を定年退職した父が、まだまだバリバリ働いている母の小言に
「忙しいうちが花よ、母さん」
と投げかけていた場面が思い出される。
戦後すぐ生まれた世代の父が、自分から寂しいなどと言う言葉は決して言わないが、
それでも人から求められていたかつての自分を懐かしく思うのだろうなと、
逆に私が寂しくなってしまった。やめてくれぃ父ちゃん。
まだ周りとの繋がりがあるうちに、個人的な繋がりに変化させて、今後の人生の豊かさにしていきたいと思う今日この頃なのでした。