日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

優しさ。

 

3日前、友人と電話で話した。

現在、適応障害との診断を受けている友人。

そのため、今勤めている職場を退職したいと。

 

話を聞くと、優しすぎる彼女の人柄に、涙が出そうになった。

今の職場は辛いことが多い。現にそれが原因で病にかかっている。

強く当たってくる人がいるらしく、それがツラいとのこと。

 

だけど、と彼女は言った。

 

だけど、それでもよくしてくれる人がいる。

同期入社で励まし合っている同僚もいる。

その子を置いて、自分だけ辞めてしまっていいのか悩む。

辞めるのは逃げなのではないのか。

話を聞いてくれる上司も、本当によく事情を聞いてくれるし、一緒に考えてきてくれたから、これ以上迷惑かけるようなことを言うのも忍びない。

 

私の周りには適応障害と診断されている人がいるし、過去にも同僚で同じ病にかかった人がいた。もちろんその人たち全ての状態を私が把握しているわけではないけど、一般的知識の範囲のことぐらいは知っている。

それによると、

苦しいと感じる場所からは、逃げていいのだ。

というか「逃げ」ではない。

それが適応障害を患った人のれっきとした治療法の一つでもあるのだ。

そうでないと症状も改善しない。

私は彼女に、健康で楽しく一日一日を過ごしてほしい。

 

それを彼女にどう伝えるべきか、伝えていいのか迷いながら話を聞いていると、どうやら彼女も本当は、自分がどうすべきかわかっているらしかった。

(ちなみに彼女の担当医からもそのような趣旨の説明があったとのこと)

それならばと、彼女が進むべき道を罪悪感なく選び取れるようにとの想いをこめて、背中を押してみた。

すると、これまでの暗かった声をパッと明るくさせて、「あぁ、やっぱりそうだよね。それでいいんだよね!(私の名前)ちゃんに話して心が軽くなった」と言ってくれた。

 

私は今回、その友人の優しさに、心底胸を打たれた。

自分自身は日常生活もままならないのに、自分よりも他の誰かのことを考えてしまう、その優しさに。

私なら、と考える。

私なら間違いなく、医者の言うことにしたがって、一分の迷いもなくその環境を変えることに尽力するだろう。多少の罪悪感はあるかもしれないけど、自分の健康を守ることに最善を尽くすはず。それもきっと、一つの正解なのだと思う。

だけど一方で、彼女にはその優しさを持ち続けてほしい。

 

一度職場を退職したから優しさがなくなるわけではない。今後新しい環境で人生をスタートするときに、彼女が彼女らしく、その優しさを武器に伸び伸びと輝いていってほしいと切に願うのだ。