考える力。
友人Eとランチをしてきた。
そこで話題に上がったのが、共通の友人の話。
Eは以前、その友人とのLINEのやりとりで気まずい雰囲気になったと言った。
どんなやりとりだったのか聞くと、いつもなら同意してくれるはずの話題に対して、思いがけず反論をくらったという。
Eが臨場感たっぷりに話すものだから、私はてっきり電話での話かと思っていたけどLINEでのやりとり。
さらにEの口ぶりから、かなり怒られた、というニュアンスが伝わってきたので、最初に聞いた時は私もかなり驚き、あの友人がその話題でそんなに怒るなんて何事!?と思った。
・・のだけど、少し考えて、どんなやりとりだったのか詳細に聞いてみると、大して怒っていたり、咎めるようなことを言われているわけではないことがわかった。
そりゃ、明らかに「怒りマーク」とか全く絵文字なしのメッセージだったらそうかもしれないなと思うけど、そうではなく、あくまでも言葉として同意をせず、自分の考えを伝えているというもの。
この時私は、なんでも自分で考えてみるって大事だなと思った。
Eの話は臨場感たっぷりな分、相手にEが感じたそのままの印象を抱かせてしまう。
だけど、物事の感じ方なんて、100人いたら100通りあるわけで、同じとは限らない。
今回のことで言うと、そのLINEのやりとりなら、私なら別に怒っているわけではないと感じるだろうと思ったし、本当に滅多なことで怒るような人ではないのだ。
Eの話し方が悪いというわけでは断じてない。
そこがEのすごくいいところであるし、大好きだ。尊敬もしてる。
そうやって話してくれることを、私自身がきちんと、自分で考えて感じ取って、話を鵜呑みにせず、本当の意味で解釈してあげられているかという問題だと思う。
そこで1つ、今回のことで反省していることがある。
そうやって考えて解釈して「自分はこう感じた」ということを、無闇に相手に伝える必要はないということだ。
それは心に留めるのがいいと思った。
だって、Eは友人に怒られた・嫌われてないか、そういう心配もあるからこそ、私に話をしてくれたのだ。
なのに、それを私の解釈で一掃するなんて、かわいそうなことをしたなと思った。
もっとそのやり取りでどう感じたのかをじっくりと聞いてあげるべきだった。
反省です。
少しずつこうして、考える力を養えている実感があって、とても嬉しい。
特に何をしているわけでもないけど。
一歩ずつ努力して、自分の心の声をちゃんと聞いてあげられる人になりたいと思う。