日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

高いお買い物。

 

決断を一人で出来ないところがある。

常に両親のどちらかの賛同をもらって初めて前に進んできたようなところがある。

買い物もその一つ。

 

最近、iPadApple PencilとAirPodsを購入した。

それに付随するものもAmazonで購入。

 

iPadだけはあと3週間ぐらいかかる。

相方(iPad)がいないと何にもできやしないApple Pencilさんは、未開封のまま私の家に横たわっている。何こいつ?と時々、存在意義が不明な高級品の購入を後悔しそうになりながら、グッと堪えて彼の相方(iPad)の到着を待つ日々。

AirPodsはまだ音楽聴くぐらいしか使えていないけど、そのうち電話やzoom会議?とかで活用できる。ただ意外とペアリングの作業がいちいちめんどくさいなと実感中。

 

高額の出費。

しかも、なんら必要に迫られたわけではなく、間違いなく趣味の範囲での買い物。

まさに『贅沢品』の類に入る。

 

でもこれがまさに独り立ちの第一歩になったような気がした。

こうした判断一つ、自分一人ではできず、いつも両親どちらかの賛同を得て初めて安心して一歩が踏み出せていたから。

 

 

先日、父との会話で、どうやら母は愛情不足で育ってきたが故に、父(自分の夫)に対しても父親としての安心感を追い求めているらしいということが分かった。

父自身は、母からそういうものを感じているらしく、「俺は一人で4人の子供を見ている気分だ」と言っていた。

 

それを聞いた時、父に対していまだにそれを求める母が可哀想に思えてきた。

これは、私が愛情を求めて駄々をこね続けても無駄だなと悟った。

私も可哀想だけど、母だって同じなんだ。そしてその寂しさを分かってあげられるのは、紛れもなく私だなと思った。母が甘えられる娘になろうと思ったのだ。

 

いい娘の発言に思えるかもしれないけど、これは一種の諦めだと思う。

全然いい子になろうなんて思ってない。

気持ちが吹っ切れた感じもするし、愛情享受しようという欲求を諦めた感情。

”いつでも甘えられる母”という存在が”いない”という事実。

どこかでいつかそれを受け止めなきゃいけない時が来ると思っていただけに、その事実を同じくどこか寂しそうに伝えてくれた父から聞けて、少し安心した。

父からは溢れるほどの愛情をもらっているし、高齢のおじいちゃんになった今でもアラフォーの娘にそう言ってくれる。それで十分な気がした。

 

そうなった時に、迷っていた高級品の購入をやってのけた。

それができた。

もう一人で大丈夫な気がした。

まだ完全体ではないけど!

 

 

 

 

ペアリングめんどくさいし、使い方慣れないけど、AirPodsの手軽さ身軽さに感動している。これは手放せなくなりそう。