日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

改めて整理してみた。

 

今現在、自己肯定感を絶賛育成中です。

そういう話はこれまでにもたくさん書いてきたと思います。

 

恋愛結婚が当たり前だと思っていた頃、自分がこんなにも恋愛依存体質だとは自覚していなかった。

もっと言えば、「恋愛体質」だとは思っていたけど、「依存体質」だとは思っていなかった。(同じ?笑)

 

恋愛している時のわたしの思考は、こうだ。

 

好きになった相手は、奇跡的にも相手もわたしのことを好いてくれている。(もう人生で最上級の喜びの渦中にいる。天をも舞う気持ち)

だからわたしに優しい。だからわたしの全てを受け入れてくれるに違いない。

そして、惜しげもなく自分のことを深い部分まで話したくなり、何でもかんでも知ってもらおうとしてしまう。

愛情不足で育ってきているので(親があまり相手してくれなかったので、自分のことをよそ見せずに見てくれる人というのに、根本的に飢えている)、自分だけを見てくれる存在というだけで、最強に安心してしまう。

 

でも、そのスタートからして、もう結構アウトなのだなと自覚したのは最近のこと。

ただ、大抵の人は受け入れてくれるし、少なくとも表面上は話を聞いてくれている。

だからその反応に気を良くして、今度は自己肯定感の低さからくる満たされない感情を埋めてもらえると勘違いし、子供のように相手にすがってしまう。

そうすると、個人差はあるが、大体はすぐに音を上げる(この言い方ももはや失礼)。

 

そりゃ〜そうだろうな。

勘違いしてるけど、”親じゃない”から。

簡単に言うと、”自分のことは自分でやれって話だよ”と、自分にツッコミを入れたくなる。

 

要するに、

わたし今、寂しい想いをしているから、(相手に非はないし全く関係のないことだったとしても)寂しい想いを解消させてよ!とか、

相手に何か言われてカチンときたら、わたし達はお互いに好き同士なんだから、仲直りできるよね!?あなたもわたしのことが好きなんだったら、さっきのとにかく撤回して、わたしの気分を持ち直してよ!とか、

 

自分の感情の操縦を相手に任せている状態で、かと思えば、野次馬のように「あーしろ」「こーしろ」と、我儘な指示だけ出す、じゃじゃ馬状態でした。

 

うまく表現できているかわからないけど、そんな感じ。

そりゃ相手も、こんなわけわからん女、女房として一緒に暮らしていこうとは思わんわなと、やっと学んだわけです。

 

 

それからは、相手から一歩離れたところで付き合う感覚を大事にしようと意識するようになりました。

すると不思議にも、相手も自分のことを丁寧に扱ってくれているような気がするのです。

 

わたしの場合、くっつきすぎると破滅するんだなと分かりました。

 

だから、『大好きラブラブ!この人と出会う運命だったんだ!一生離れたくない〜!!』なベッタベタな関係より、血の繋がった家族に近い、空気のような気の合う友達のような存在がベストなのかなと思っています。

 

 

将来の子供のことを考えると、”その感覚で一緒に入れる人”と”生理的にOKな人”が同じかは疑問ですが、焦らず周りを見渡してみようと思います。