日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

マグマの溜まり具合

 

久々の更新になっちまったぜ。

五月病だろうか?なんとなく納得できる気がする。

 

 

よく日常の中で、いろんなことに気づく。

人が全く気にならないようなことも、気になってしまうことが多い。

何か匂いがする。換気扇の音が異常にうるさい。湿気がすごい。誰かがウケを狙って言葉を発したのに誰も気づいてないな。コソコソ噂話聞こえて気分が悪いな。などなど。

五感で感じられるものの変化は、基本ほとんど気づく。

人の言動や振る舞いでも同じようなことが言えて、引っ掛かるとずっと頭の中で反芻してしまい、気づくと眉間に皺が寄っていて、自分でも怖い。

つまりは、年がら年中、気づけば頭がフル回転しているようなものなのだ。

 

だから人一倍、疲れやすいしストレスも溜まりやすい。

それを溜め込んでは、大きく爆発させることの繰り返し。

一人で泣くこともあれば、物に当たることもある(物に当たるのことは今はほとんどなくなりました)。

そして答えの出ないイライラや息苦しさ、生きにくさに悶えながら、なんとか平静を装って毎日を過ごすという状態でした。

 

お腹の底にマグマがふつふつしながら溜まってるのは、分かる。

だけど、そのマグマがどのくらい溜まっているのかが分からず、気づくと噴火直前。

近場になんでも気にかけてくれる先輩がいたときは、わざとその先輩に分かるように機嫌を損ねて、「何かあった?」と聞いてもらえるのを待っていたような気がする。

受け身の状態でマグマをなんとか沈めていたんだな。

要は受け身だったわけなのだな。

 

今回、GW中にモヤモヤが溜まった。

もうどうにも苦しくて、いつも聞いてもらう先輩に電話した。

 

先輩は、こう言う時だけ饒舌に話し続ける私の話(愚痴に近い)を我慢強く聞いてくれながら、時々相槌を打ち、時々自分の経験を交えながら「分かる〜」と言ってくれていた。それだけで、本当に救われたし、マグマが確かに静まるのを感じた。

 

ふと気になって、「先輩は、どういうタイミングで苦しいことを吐き出しているんですか?」と聞いた。

「わたしは、自分で考えていても悪いネガティブな考えしか出てこなくなったタイミングですぐ聞いてもらってるよ〜」と。

 

今のわたしには、ありがたすぎるアドバイスだった。

わたしは、どのぐらい溜まれば聞いてもらっていいのか、分からなかったんだ、とその時はっきり分かった。

その質問は何気ないものだったけど、それが分からなくていつもタイミングを逃していたんだと、自分の質問によって気づいたのだ。

 

自分のことを本当に分かっていないなぁと思って、愕然としたけど、仕方ない。

一歩ずつだ。

今回の気づきは、これからの人生に大きな変化をもたらすに違いないと感じている。

 

そして、この一つ一つの経験が、同じように苦しんでいる誰かの大きな気づき・変化につながるといいなと思う。

 

 

 

 

 

ドリップコーヒー

 

最近、ドリップパックのコーヒーを淹れることが増えた。

スーパーやらドラッグストアやらどこでも売られている、1袋10パックとか入っているあれだ。

不織布の封を切ってほんの少しお湯を注ぐと、フワッと挽き立てのような香りが舞って、それをふか〜く吸い込むと、まるで全身の毒素が浄化されるみたいに、身も心も生まれ変わったような気持ちになれる。何度か深呼吸して、そんな心地をゆっくりと感じるのが大好き。

 

ドリップにお湯をそっと注いでいるとき、フィルターすれすれのところでコーヒーの粉が幸せそうに膨らんでくるのを見ていると、それが何やらあまーいカプチーノの泡に見えてくる。

 

そういう時、必ず思い出す一コマがある。

 

母は大のコーヒー好きだ。

わたしが小さい頃、家族分の食事を用意し終えた後の少し遅い朝食時に飲んでいた。

分に切ってこんがり焼けたトーストと一緒に。

その時もよく即席のドリップパックを使っていた。

あるとき母のそばに立ってお湯を注ぐ様子を見ていると、そのこんもり膨らんだ泡を発見。

「甘くて美味しそうだな〜」と思った。

まだ、あまーくて優しーい味の飲み物しか知らなかった私は、口の中を甘ったるいイメージでいっぱいにさせながらそう母に言うと、「苦いんだよ」とおかしそうに笑って答えてくれたのを覚えているようないないような笑。

 

母がわたしの問いかけに答えてくれた数少ない会話の一つ。(というと、本当に会話してくれない母親みたいだけど、そうではなかったと信じています笑)

だから、いつもあのコーヒーの美味しそうな膨らみをみると、その時のことを思い出す。

 

ふと最近、あの時に感じた美味しそうだと思っていたものが実は苦くて全然魅力のない飲み物だと分かった落胆が、今、あの時の母と同じように、自分にとってのご褒美のような、自分をリフレッシュさせてくれる大事なものに変わったんだなぁと思うと、なんだかとてもくすぐったいような気持ちになった。

 

そして、母と同じようにコーヒー好きになった自分。

やはり親子なんだなぁと、妙に嬉しくなってしまうのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

高いお買い物。

 

決断を一人で出来ないところがある。

常に両親のどちらかの賛同をもらって初めて前に進んできたようなところがある。

買い物もその一つ。

 

最近、iPadApple PencilとAirPodsを購入した。

それに付随するものもAmazonで購入。

 

iPadだけはあと3週間ぐらいかかる。

相方(iPad)がいないと何にもできやしないApple Pencilさんは、未開封のまま私の家に横たわっている。何こいつ?と時々、存在意義が不明な高級品の購入を後悔しそうになりながら、グッと堪えて彼の相方(iPad)の到着を待つ日々。

AirPodsはまだ音楽聴くぐらいしか使えていないけど、そのうち電話やzoom会議?とかで活用できる。ただ意外とペアリングの作業がいちいちめんどくさいなと実感中。

 

高額の出費。

しかも、なんら必要に迫られたわけではなく、間違いなく趣味の範囲での買い物。

まさに『贅沢品』の類に入る。

 

でもこれがまさに独り立ちの第一歩になったような気がした。

こうした判断一つ、自分一人ではできず、いつも両親どちらかの賛同を得て初めて安心して一歩が踏み出せていたから。

 

 

先日、父との会話で、どうやら母は愛情不足で育ってきたが故に、父(自分の夫)に対しても父親としての安心感を追い求めているらしいということが分かった。

父自身は、母からそういうものを感じているらしく、「俺は一人で4人の子供を見ている気分だ」と言っていた。

 

それを聞いた時、父に対していまだにそれを求める母が可哀想に思えてきた。

これは、私が愛情を求めて駄々をこね続けても無駄だなと悟った。

私も可哀想だけど、母だって同じなんだ。そしてその寂しさを分かってあげられるのは、紛れもなく私だなと思った。母が甘えられる娘になろうと思ったのだ。

 

いい娘の発言に思えるかもしれないけど、これは一種の諦めだと思う。

全然いい子になろうなんて思ってない。

気持ちが吹っ切れた感じもするし、愛情享受しようという欲求を諦めた感情。

”いつでも甘えられる母”という存在が”いない”という事実。

どこかでいつかそれを受け止めなきゃいけない時が来ると思っていただけに、その事実を同じくどこか寂しそうに伝えてくれた父から聞けて、少し安心した。

父からは溢れるほどの愛情をもらっているし、高齢のおじいちゃんになった今でもアラフォーの娘にそう言ってくれる。それで十分な気がした。

 

そうなった時に、迷っていた高級品の購入をやってのけた。

それができた。

もう一人で大丈夫な気がした。

まだ完全体ではないけど!

 

 

 

 

ペアリングめんどくさいし、使い方慣れないけど、AirPodsの手軽さ身軽さに感動している。これは手放せなくなりそう。

 

 

 

 

ぶつぶつ。

 

HSPが嫌すぎる。

 

なんで私以外の人間はみんな、こんなにもズボラで全てのことに気づきがなくて、鈍感なの。なんでなんにも気付かないの。

どんなにわかりやすい変化にも一向に気づかない。

え?何を見て生きてるの?

目見えてる?耳聞こえてる?

なら絶対気づくでしょっていうことに、気づかないわけよ。

息してますかー?

 

当分吐き出せていなくて、昨日爆発してしまった。

溜まると顕著に爆発するんだなって思った。

声帯使ってない。それぐらい話す人がいない。

でも少しずつ吐き出すっていうのがまた難しい。

 

 

 

いい文章が書けなくて、ブログからも離れています。

 

こんな状態では、書く気になれません。

 

そんなこと言って、明日書いてても許してください笑。

 

 

 

 

占いが最下位だった。

 

昨日星座占いで、最下位だった。

 

占いは気にしない。

耳に入ってきても、さして気に留めない。

最下位でも気にしないことにしている。

 

 

そんな昨日は、車で片道100キロの長距離外出。

友達の結婚式。

高速道路は使わず、下道で向かっていた。

かなり時間に余裕は持って出たけど、さすがはGW。

以前同じ道を運転した時に比べて、進みが遅いのなんのって。

ちょいイライラ。

それでもまだ30分ほどの余裕があったので安心し、新緑の晴れの日のドライブを楽しみながら進んでいた。

 

すると突然、念の為に設定しておいたナビから、

「3キロ先、事故のため通行止め」

と聞こえてきた。

 

『・・・・・・・は?』

 

耳を疑いながらも前を見ると、

た、た、たしかにーーー!!

どこまでも続く、山道の大渋滞。

 

嘘でしょ。こんな山道で渋滞にはまるなんて。

だけど、はるか遠くの方で曲がりくねった道の先は見えず、身動きも取れない。

さっき3キロ先って言ってたけど、本当かどうか分からない。

 

いろんなことを考えながら焦っていると、何台か前の車が、Uターンをし出したじゃないですか!

それも1台じゃなく、何台も。

おーーっつ!!そうですよね、そうですよね!

そういう判断もこの段階では賢明ですよね!!

 

でもこんな山道で、ナビ頼りの私にはそんな器用なことできません。。

時間のリミットを決めて、それ以降渋滞を抜ける気配がないなら、もう仕方ない、抜け道を探すことにして、時を待った。

 

するとその矢先、リミットの時間になろうとした時、ついに前方にパトカーの赤いランプを発見!!あった!あそこが事故現場だぁ!ということで、やっと渋滞を抜け出すことに成功。リミットの時間ギリギリでした。

 

しかし、そのせいで予定時刻をすぎて到着。

全然遅刻ではないものの、完璧主義の私は少しバツが悪い感じ。

 

もう一つ、不運なことに、朝から何も食べておらず、胃が空っぽだった。

そこに結婚式での緊張が重なって、胃が痙攣し始めた。

かなり痛かった。

はじめは何が起こったのかというほど痛かった。

帰りの運転がツラすぎて、途中コンビニで一休みしようにも、横になると余計に痛いような気がして、諦めて残り100キロ弱ある道のりを急ぐことに。

持ってきていた母お手製のサーターアンダギーをお腹に入れると、痙攣が治まって、一安心。

 

しかし、更に、運転中。今度は心に支障が。

どうやら結婚式自体にダメージを受けた模様。

一緒に頑張ってきた友達の花嫁姿、そこに来ていた共通の友達たちの妊婦姿、仲良くどちらかの友人として参加している若い夫婦の姿などなど。

見ているのもしんどかった。

 

そして、突き詰めると、『一人はもう嫌だ』という感情が出現した。

声に出して見ると(声に出したんかい)、妙に納得してしまった。

あ、私はとっても寂しいんだぁ。

一人で行動するのが嫌なんだ。

誰かと感情とか共有したいんだ。

何人かの、いついなくなるか分からない友達じゃなくて、たった一人の人生のパートナーが欲しいんだ。

どんどん明確になっていった。

 

しかし、その感情が明確になっていくと同時に、悲しさと寂しさがこれまでにないほど大爆発してしまって、大号泣。

帰りはしんどいドライブになってしまった。

 

 

なんだか踏んだり蹴ったりだなぁ。

とそう思った時、ふと今朝の占いが『最下位』だったことを思い出した。

くそ、当たってるじゃないか。

 

 

でもこれは占いが当たったんじゃない。(どっちだよ)

現実に起こったことは占いが当たったと認める。

けど、私の心まで『最下位』の烙印を押されちゃいないぜ。

意味があって、しんどい思いをしているんだ、とちゃんと捉え直せた。

私にはこの感情から学ばないといけないことがあって、それをきちんと乗り越える必要があるから、こんな思いをしているんだ。

じゃなかったら、私の人生はずっとこんな感情に支配されたままやん。

・・んなわけない。

数百万倍の倍率を突破して人間に生まれてきた意味が、負の感情を抱きつづけることな訳がない。

 

というわけで、占いごときに翻弄されてたまるかと、また一つ強くなったなと感じた休日でした。

 

 

 

 

 

読書感想文。

 

『夏物語』

 

ボロボロ泣いた。

 

小説でこんなに泣けるのか、自分、と呆れながら泣くほどに泣いた。

 

 

貧しかった幼少期。

無垢で楽しかった幼少期。

どこか不完全な家族。

ほとんど語られない他人のような父、そして失踪。

大好きな母、そして死。

優しく大きな存在の祖母、そして死。

変わってしまった生活。

姉妹。

わたしはあんたのお姉ちゃんやで。

強烈に記憶に残る街の景色・匂い・色。

小さな自分と信じられないくらい小さく感じる昔の家。

夏の情景と建物の対比。

胸が苦しくなるほど優しさを感じる登場人物。

過去と現在の対比、それによって救われる読者。

二百億キロ彼方を泳ぐボイジャー

時速三百キロで走る新幹線で、七千六百年かかる場所。

人が七六回生まれ変わらないと辿り着けない場所。

 

「つらいときはボイジャーのことを思いだせ」

「生きているといろいろ厄介なこともあるけれど、でもな、百年なんかあっという間だぞ、ひとりの人生だけじゃなくて、人間の歴史なんて宇宙にくらべたら瞬き一回にも満たないんだぞって。そんななかで泣いたり笑ったりしてるんだと思えば、元気でるだろうって。でもそれはいつか自分も死ぬんだとか、そういう意味じゃないぞ、自分どころか、太陽が燃え尽きて、地球と人類があとかたもなくなるときが必ず来るんだよ、でもボイジャーはもしかしたらそのあとも宇宙の果てを、ずっと飛びつづけるかもしれないんだぞって。」

「なあ潤、人っていうのは不思議なもんだな、ぜんぶなくなるのがわかってるのに、泣いたり笑ったり、怒ったりな、いろいろなもの作ったり、壊したりしてな。そう考えるとあっけないかもしれないけれどーーでもなぁ潤、そういうのもひっくるめて、生きているってことは、やっぱりすごいことなんだぞ」

 

文春文庫『夏物語』

著者:川上未映子

 

 

 

 

 

ここ数年、生きているということを何度となくいろんな角度から確認してきたけど、久しぶりに心の中に〝ストン〟と落ちた。

 

とてもガチガチに生きてきた私にとって、全身の力の全てが抜けるような言葉。

 

この本に出会えて、本当によかったと思います。

 

大事にしていきます。

 

 

 

 

 

 

ブログに感謝。

 

長く同じ職場で働くと、いろんなものが見えてくる。

そしてもちろん、周りから自分に対しての目も、聡くなり、いろんなことを見られているんだろうなと感じる。

 

長く勤めるのは、とても根気のいることだなと、本気で思う。

自分だけが我慢していればいいというのではなくて、見えてくる職場のいろいろなことを腹の中に抱えて生きていかなくてはいけないのだという意味で。

 

ここまで本当によく勤めてきたなぁと、人生の中で唯一自分を褒めてあげたいところです。でも、私にこの職場で生きていく覚悟と意味はないと思っているので、早いところおさらばしたい。

が、なかなかタイミングに恵まれず。

そして、タチの悪いおじさんたちの冗談やプライドや見栄にいやでも付き合っていなければいけない時がある。

 

そんな毎日に彩りを与えているのが、このブログ。

時には愚痴ったり(結構嫌な感情激しいので、今後は控えます)、日常の嬉しかったことや幸せに感じたこと、考えたことなどをただただ書き殴る。

私にとって、自分の中の感情を文章にして明確に表すという行為が、自分自身を認めてあげられる、大事な方法なのです。

手帳に書いている日記もそうだけど、長い文章で表現したい時は、ここにひたすら打ち込むのが一番。

 

『対ひと』に、うまく自分が感じたことを伝えられない私。だから、ゆっくりと自分が表現したい方法で、(私のブログを)見たい人にだけ伝えられることが、とても幸せです。