日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

いえ

台風が来ていたので職場から自宅待機を命じられました。

なんかコロナ禍入ったばっかりのときにも交代勤務とかで平日家にいることあったなぁと思い出したけど、その時ぶりのこの感じ。

どこにも行かなくていい。むしろどこにも行ってはいけないから、家にいなくてはいけないという焦燥感のない自宅での時間。

嫌いではない。

 

だから久しぶりに心置きなく自分がやりたいことをした。

ただの休みだと、この間にやらなくてはいけないこと、行かなくてはいけないところ、会いに行かなくてはいけない人に会いに行くなど、誰にも責められないことではあるが自分で勝手に「〜しなくては」を自分に課してしまう。

 

そういうことがない特殊な休みは、私にとっては非常に助かる。

あまり共感を得られないのはわかっているけど。

 

 

というわけで、気になっていた映画を一気見した。

その中でふと掘り下げておきたかったことを思い出したので書き留めておきたいなと思います。

 

何かが始まるということは、その終わりへのカウントダウンが始まるということ。

 

なんだかなぁ。

最近、妙にこのことばかりを考えて生きている気がする。

何をするにもその終わりを考えてしまい、着手できないというか。

 

仕事や買い物に至るまで色々あるけど、特に人間関係。

特に恋愛。

今、とても好きな人がいます。

ずっと一緒にいたいです。

その人とは、破局なり、どちらかの死による死別なり、お別れする日が生きている限りは必ず来ます。

当たり前のこと。事実ですよね。

でも頭で分かっていても、感情では受け止められないのが人間です。

そのことが苦痛でたまらない。

叫んでも体を掻きむしっても暴れても現状は変わらない。

ただただ耐えるしかない。

しまいには、そんなことと分かっていながら、どうして私はこの人を好きになってしまったんだと後悔し始めたりして。

そうなると、もう金輪際こんな感情になるようなことはしないと思うようになる。

 

そんなことを言ったら世の中は悲しみしか残らないことになるわけで、そうはならないからこそ、人類はいろんな人と出会い、愛を育み、それを連鎖させ続けているんだろうな。

 

でもねぇ。

親から愛情を注がれたことのない人間は、やっぱり常に不器用で。

愛情を他人にどう表現して向けたらいいのかわからないのよ。

だから愛情の収束のさせ方もわからない。

一度受けた愛情は永遠に続くものだと錯覚してしまう。半ば病的に。本当に。

それがなくなることが信じられないから、その後の自分がどうなってしまうのかすら怖くて、感情を出発させることにも、人一倍臆病になる。

 

可能なら、誰か教えてほしい。

この不器用さをどうすればいいのか。

私はこの先、人に対してきちんと真っ当な愛情や心を持って接していけるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

変化

とても久しぶりの日記です。

 

すっかり時は流れて自分の状況も大きく変わりつつある今日この頃。

しかしながらその変化に(自分で決めたその変化に)順応したくないと、心が身体が全力で言っている感覚。

毎日とてもツラいです。

 

でもでも、その反応は自分の未熟さゆえであること、その反応に従ってしまったらまた後悔することもよくわかっている。

 

変化ってとても心が疲れますね。

人生の大きな変化は余計にしんどい。

若い頃だったらここまで思い詰めなかったことも、アラフォーの人間にとってみたら非常に苦痛。こんなに違うのかと驚くほどに。

 

というわけで、毎日なんかスッキリしない日々を過ごしています。

スッキリしなくても仕事はしなくちゃいけないし、どんよりしていても元気な顔して生活しなくちゃいけないし。

どうして人間界はこうも生きづらいかね。

 

 

 

 

容姿も性格も全然好きになれない人と結婚を決めた。

結婚というものをしたい。

自分の子供が欲しい。

今の職場から合法的に客観的にみて波風立てず去りたい。

人生の道を一歩前に進めたい。

 

さまっざま考え抜いた挙句、5年間ほど悩み抜いた挙句、どうにかこうにか心の方向性が「今、結婚しなければ!!」に変化した。

その瞬間を逃さずに友人が紹介してくれた人に決めた。

半ば勢いで。

 

 

完全にハゲているし(そのことを気にしていないところがとてもなんというか...)、顔を見てくる時の仕草や表情なんかは結構生理的に無理なレベルで、顔を凝視できない。

男性らしさというよりは、中性的でどちらかというと仕草は可愛子ちゃんか?と思う時もある。私より女子やんと思う。

何より、一緒にいるときに全く自然に笑えず、いつも笑顔が引き攣っているのをひどく激しく感じている。結構疲れる。

 

 

決め手を聞かれれば、ほぼスペックだった。

職業。あと価値観。

紹介してくれた友人を信頼してのことでもあった。

後々、結婚の報告をした共通の友人たちからは「あの人を悪くいう人はいない!」と断言されたり、何人かに「絶対あなたに合うよ!」と太鼓判をもらったりして、日々少しずつ自分の決断に裏付けをつけている最中です。

 

多分この先、いわゆる恋愛感情は湧くことはないだろうと思う。

結婚をする相手にそれでいいんだろうか?成り立つんだろうか?子供ができたらその子はどう思うかな?と、疑問や不安はキリがない。

それでももう決めてしまったことだ。

いつか、家族として何事も許せてしまうようなゆるーい優しさが持てるといいなと思う。

別れていなければ、死ぬ時にこの人がパートナーでとても(とてもが大事)良かったなと感じれたらいいなと思う。

 

 

 

また、いつか思い出したら突発的に更新しよう〜。

めんどくさい生き物

 

人って、一つのことばに対して、

色々な解釈をするよね。

 

あるひとには怒りを感じさせたり、

あるひとにはおもしろいと感じさせたり、

またあるひとには意味不明だったり。

 

発言者の語彙力というのもあるのかもしれないし、

人となりも関係してくるかもしれないけど、

どうしてこうもすれ違ってしまうのだろうかと

途方に暮れる。

 

 

それが、どんなに身も心も距離が近いと思っていた人物とだと

余計につらい。

 

 

人類とは、今世も来世も打ち解けられないものなのではないかと

本気で思ってしまう。

 

 

人間ってめんどくさい。

 

 

 

2023/4/7

 

今週は、PMSが大暴れ!!!

あまりのつらさに、先日1日半も仕事を休んでしまった( ; ; )

 

生理前に無理をするものではないと本気で悟った。

楽しくてもそれは自殺行為になると自覚すべきだった。

本当に気をつけよう。

 

1日、何もしないで(いや、少し動画は観たな)、

寝れたので、幾分脳みそのモヤが晴れた。

要するに睡眠不足だったのだろうな。

まぁちゃんと寝ても普通の人の数百万倍体調悪いけど。

 

いろんな人に迷惑をかけて、自分の体調を整えないといけない自分の体が憎い。

いつまでも人の世話にばかりなっている。

情けない気持ちが、どっぷんどっぷんと無限のマグマのように湧いてくる。

(いや、マグマは有限か?)

生きるのって本当大変だと実感するばかり。

 

 

先日、先輩とやりとりしていて、いつも素敵だから、本当にすごいなぁと心から感動して、すごいですねぇという意味で褒めちぎっていたら、いつも褒めてくれるから嬉しいよ〜同じように自分にも褒め言葉のシャワーを浴びせてあげたらいいのにねって言われた。

それが出来たら、こんなに悩んでいないし、こんな性格でなければ、敢えて褒め言葉のシャワーを浴びせることも必要ないと思うのだけど。。

でもそうだなと思った。

私には、ごく自然に自分を褒めてあげられるスキルが絶望的にないのだと思う。

 

 

それでも今朝、自分で自分のミスを補うというファインプレーがあった。

それを別の知人に話すと、そういう時に自分を褒めてあげるんだよと言われた。

 

こういう時か!!笑

 

自分って、自分を褒めてあげることに慣れてない。

だから、人のことは目ざとく良いところを見つけては褒めちぎるくせに、自分のことはそんなのできて当たり前でしょと言わんばかりに、スルーしてしまう。

スルーする癖がついてるなぁって思った。

 

自分の良いところにも他人にするのと同じように、目ざとくなっていかないと。

 

一つ勉強になった日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

読書記録 ♯1

 

読書記録。

 

年の初めに、月2冊、本を読もうと決めてから1月はあっという間に過ぎてしまった。

ぼーっとしていると、気づいて振り返ったときに、本当に空っぽの人生だったというホラーが起こりそうで、ゾッとした。

 

という訳で、2月に入って、読む読む詐欺だった「土佐堀川」に着手することに。

こちらは言わずと知れた2015年期朝ドラ「あさが来た」の原作。

放映当時は「びっくりぽんや!!」の名台詞が話題になったという記憶ぐらいはあるが、ちゃんと観ていなかったので、詳しい内容はよく知らなかった。

朝ドラが話題にのぼる一方で、原作の小説がとても素晴らしいと、その当時よく聞いていたので、勢いで買うだけ買っておいたのだ。

 

そもそも、歴史小説を好んで読んだことがなく、難しい漢字や、ながぁ〜い名前に翻弄されて内容が入ってこないのではという勝手な先入観があったので、長い間『読まず嫌い』をしていた。(食わず嫌いならぬ)

それでも今、この作品を自ら手に取ったのは、現在の職場環境や自分自身の身の振り方、これからの生き方に悩んでいるからだろうか。

 

女というだけで、大した仕事を任せてもらうことがないまま勤続10年を超えた。職場も自分自身もその務め方に疑問を持ったことがなく、振り返ると、10年以上ものこの会社に奉仕して生きてきたが、何が自分に残ったのだろうか、と心底虚しくなった。

自分からもっと求めて働いていれば。

資格試験でもなんでも自分から動けば。

当たり前だと思わず、いろんなことに疑問を持って物事を見ていれば。

自分発の姿勢でいれば、もちろんもう少し違った今があったのかもしれないとは思う。けれど、それをする必要がない、しなくて正解という風潮があったのは本当だ。ほんの数年前までは。(考えてみると、コロナ前までがそういう雰囲気だったように思う)

そして今、目に見えて自分のような中身が空っぽの人間には、何も求められていないということを肌身でひしひしと感じながら、毎日を働いている。

ふと、今の環境に囚われずに気楽に考えてみた。自分とはこうだっただろうか?本当にやりたいことはなかったか?もっと生き生きと生活していなかったか?と。すると、今までどこかに封じ込められていた気持ちが、溢れ出てくるのを感じた。

今なら、なんでもできるんじゃないか?もう失うものはないのだし、ダメで元々で何かやってみようか。

そしてそれは少し楽しかった。

 

長くなったが、そういう経緯で、女性の社会進出についてということや、女性が果たす社会的役割について、自分ごととして初めて追及してみたくなったのだ。

土佐堀川」に描かれている広岡浅子の一生の、果たして何がそんなにすごかったのか、どうしても知りたくなり、ページをめくってみた。

 

あくまでも個人の所感なので、拙い感想には目を瞑ってほしい。笑

 

何より一番グサッと刺さったのは、広岡浅子が『行動第一』『現場主義』の人間だったことだ。

そうは言っても、本もかなり好きで多くの書物も読んでいたようだが、浅子のすごいところは、頭でっかちに知識を得るだけに留まらず、常にそれを実践に変え、更に利益に結びつけていったところだと思う。

まず動く。

商売に必要なことは、自分の目で見て確かめる。大賑わい?の米市場に女二人で平然と乗り込んで罵倒されながらその様子を物見していたところなど、物凄いと思う。

それがどんなに男社会の中でも、堂々と踏み込んでいく度胸は、読んでいて清々しかった。

当時はまだ明治初期。明治維新によって、時代が大きく変わる時だったとは言え、まだまだ女が商売のど真ん中にいることなんて考えられないような時代だったはず。今だってまだ、この会社の女性役員は何割で〜とか数値化されて話題にされるような世の中なのにだ。

しかし浅子は、はっきりとした目的のためにいつも堂々と正論を掲げながら、その世の中の理不尽さに立ち向かっていった。こういう時、女性の正義感というものはすごい力を発揮するのだなと思う。

 

また、浅子の視野は日本や世界に向かっていたことにも、本当に驚かされた。

浅子はいつも、自分の利益を得るために奔走したのではなかった。嫁ぎ先の両替商が軌道に乗るため、大阪関西一円の商業発展のため、日本の未来のため。

むしろその視野の広さ、志の大きさがあったればこその浅子の一生だったとも言えると思う。

人間、自分のことや目先のことだけに囚われているうちは、結局ことはうまく運ばないのだ。大願に立って動くからこそ、浅子の前にはいつも大きく道が開けていったのだと強く思った。

 

素晴らしい人の一生を読んだからといって、自分がすぐにこんな偉人と同じように振る舞えるようになる訳ではないが、希望は湧いた。

そしてほんの少し、未来が楽しみになった。

 

久しぶりにいい本に出会えたことで、毎日に張りが出たように思う。

 

まずは私も、本の虫にならず、行動の年にしてみようかと思う。

 

 

 

 

誰にも言わない私の。

 

今週のお題「日記、どうやって書いてる?」

 

今年も残すところ半月!ぼぉっとしていたら、12月が中旬だった。年齢重ねると、時間の経過が早いっていうけど、私だけ特に時の流れが早いのではと本気で思う。ちなみに多くの人がそう感じるのは、大人になるにつれて、『感動や驚き』が少なくなるからだそう。これはなるほどと思った。日常を振り返っても、「えぇっ!!すごぉーい!!」とか、「へぇぇぇ〜!そうなんだぁ( ゚д゚)」みたいな反応を示した記憶があまりない。子供の時は、生きてるだけで、毎日が発見と感動の連続だったんだもんねぇ。そりゃ楽しいし、毎日が充実してるわな。改めて大人って、悲しい生き物だよな。(生き物としては一緒) 

話を元に戻して、なぜ『あっという間だった〜』と嘆いているかというと、スケジュール帳に原因がある。私の手帳はダイアリー機能がついたものになっていて、その日1日のことが6行ほどのスペースに書けるようになっている。スケジュール帳として毎日持ち歩いているので、空いた時間に昨日のことを思い出して書ける。つまり、あまり物事を続ける習慣のない私でも、忘れずに継続することができるのだ〜。スペースが小さいのに、文章をまとめる能力が低くて書きたいこともたくさんある私。それはもう豆粒以下の小さな文字で書き連ねています。でもそんな文字たちが集合しているダイアリースペースは嫌いじゃなくて、後から見直すとすごく充実感で満たされる。「続いてる♪続いてる♪」「続けられてる私偉い♪」と、自己肯定感が上がるから嬉しい。そしていやでも今の手帳に書かれている1年前の記録を目にしてしまうのだ。

でも今年は、昨年その日記をつけ始めた時の記憶が妙に新しいから本当に嫌になる。あの時、こんな気持ちで書いていたなとか、そんなことまで記憶がある。この1年、何か自分に変化があったかと言われると、ない。時だけがこうも早く進むことに、焦りや悔しさや悲しさや諦めを感じてしまう。 

でも変わっていないのは客観的に見た時の私の状況だ、と気づく。こんな自分でも、内面では人生でこれほどもがいた事はないというほどもがいたし、こんなに自分を見つめた事ないというほど見つめた1年だった。そして、誰にも分からない歩幅で、何歩かは前に進んだというものもある。絶対に誰にもわからないだろうけど。そういう誰にも分かり得ない私の微々たる変化が、この日記帳には記されている。自分にしかわからない苦しみと痛みとを伴った、小さくて小さくて忘れられてしまいそうなそんな変化だ。 自分にこれといった取り柄ややりたいことがない私にとって、日記をつけることは唯一、自分の発露でやり始めた好きなこと。来年のスケジュール帳も同じようにダイアリーのついたものを手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

#今週のお題 #HSP #日記

見える景色が変わったら。

 

ブログを書く習慣が付いて、気がついたことがある。

日々の生活の中からネタを探すために、記憶を遡る。

そうすると、日常の一コマ一コマに対して、あまりにもネガティブな感情しか抱いていないのだ。

 

あの人がルールを守ってなくて、なんかモヤッとしたな、とか。

苦手なあの子のあの発言に傷ついたな、とか。

自分の自己肯定感の低さに情けなくなったな、とか。

 

エピソードはあるにしても、内容はネガティブ。

誰かや自分を悪く思っている印象しかない。

 

あぁ。。

これではいけない。

これは文章を書きたい以前の問題だ。

根っからの問題だ。

ベースがこんなにネガティブだったら、日常の素敵な情景を拾えるはずがない。

もっと自然に目に入るもの、耳にすることが、全て誰かの心を和ませられるような、肌寒い日の日向にいる時のようなものでありたい。

本当に由々しき問題。

 

 

さて、なぜそんなことを思ったのかと申しますと。

今日、こんなことがあった。

 

私が愛してやまないネット販売専門の雑貨屋さんがある。

専用サイトには、たくさんの読み物もあって、素敵な文章が読みたい放題!

私は時間を見つけては、過去に遡ってそれらを読み漁る毎日。本当に毎日。

どれも素敵だし、どの文章からも、平凡などこにでもある空気感をまといながら、その中に洗練され研ぎ澄まされたセンスを感じる。まじでかっこいい!!!

 

そして昨日、いつものごとくそれらを読んでいたところ、とてつもなく素敵な文章に出会った。殺伐とした日々の中、まるで私に対する励ましのような内容に、この感想をぜひお伝えしたい!と思いながら、ページを一番下までスクロールすると、なんと感想を送れるフォームがあるではないか!!(興奮)

「ここここの文章を書いた方に、直接感想をお伝えできるかもしれない!!」と、早速震える手で入力して送信。

読んだ感想と感じたことの全てをどうにかまとめて送ることのできた達成感に満足して私の中では終了していた。(自己満)

 

すると。

本日、メールにお返事が届いたのです!!

なんと、例の文章の書き手の方と、嬉しく拝見しました、、とのこと!!!

うわーーーーー!!!

これだけでも感動なのに、私の書いた内容にも触れてくださっていて、更に褒めてくださっている!!( ;∀;)

一人でニヤけた。

 

特に感動したのは、やはりその文章の雰囲気。

個人に宛てた何気ないメールの文章のはずなのに、もうエッセイみたい。

一番感じたのは、誰も傷つけない言葉の紡ぎ方だろうか。

顔も知らない見ず知らずの読者に対して、これでもかというほどの温かい言葉で紡ぎ出された文章だった。

 

メールを下さった方の人となりが伝わってきたし、ひいてはやはりこの会社の空気感が肌で感じられた瞬間だった。

(実は本気で転職試験受けようかと考えている)

 

こんなふうに何気ない文章でも自然と人の心を温められる人になりたい。

そう思って日常の風景を眺めるところから初めてみようか。

そうして初めて、そんな素敵な文章の書き手になれるのかなと思った出来事でした。