日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

思うことをぽつぽつと。

いやはや、昨日は急激な落ち込みで何もできなくなってしまった。

(という割には、帰ってからキムチ鍋をしたw)

 

今日ふと、あるお弁当の写真をみたときにさくらんぼが入っているのをみて、思った。

私の中のさくらんぼといえば、缶入りのしわしわのやつだなぁと。

でも大人になって知ったさくらんぼは、もっとたくさんの種類があった。

山形県で有名な佐藤錦なんか、作り物か!!と思うほど綺麗だし。

どす黒い色のアメリカンチェリーとかもあるよね。

でもやっぱり私にとってさくらんぼは、缶の中のシロップでしわくちゃやわやわになった、あの小さな粒なんだな。今思うと、体に悪そうな不自然な色をしているよね。

なんであれなのか考えてみた。

安く手に入るからだ。

小さい頃の貧乏我が家にしてみれば、さくらんぼは果物屋さんで買える代物ではなかっただろうし、缶入りのシロップ漬けで満足だった。あれが好きだったのだと思う。すっごい甘いし。

母さんが、同じく缶入りのみかんやパインを使って、フルーツポンチやあんみつを作ってくれたなぁ。

その中でもさくらんぼはやっぱり少し特別な存在だった〜。

さくらんぼが入ったあんみつのカップが回ってこないかなと、いつも意識していたような笑

と、懐かしさに浸ってみました〜。

 

お昼前に急激に空腹を感じた。

でも今日は420円も払ってお弁当を注文した。

だから、

お腹すいたけど美味しいお弁当があるのでつまみ食いはしない。

そう決めた。

どうしてこう、人の作ってくれたものは美味しく感じるんだろう。私は主婦ではないけど、一人暮らし歴15年なので、自分で作っては食べて片付けてを繰り返している。だからその味気のないことに辟易している。

主婦ならさ、まだよくない?食べてくれる人がいるから、自分は美味しくなくても、誰かしらの何かしらの反応があるから。(いや、期待していて何もない時はそれはそれでツラいんだろうけど)

というわけで、お昼ご飯が楽しみなのでした(これは午前中に書いています)

 

今日は朝から絶不調だと思っていたのに、意に反して非常に調子良さそうに振る舞えているのが不思議でならない。

職場の人間たちとも、人間らしく話すことができているようだし、それによって私の中にどす黒い気持ちが渦巻くこともない。しかも、朝イチで一番苦手な上司からの電話をとってしまって(親電にかけてきた)一瞬生命が荒れ狂ったが、頼まれごとの運びもスムーズで挙げ句の果てに(使い方間違ってる)戻ってきたときに、みんなの前でお礼を言われてしまった。ほぉーん。

その他にも、気持ちはかなり落ち込んでいるのでもう体も動かないかと思っていたのに、意外と動くなぁということがあった。いつもこれなら周りに迷惑や心配かけなくていいのにと思う。

 

 

週明けの月曜火曜が憂鬱すぎて死亡してる。

月曜午後と火曜午前を作業で押さえられて身動きが取れずなのに、月末関係の支払いに銀行へ行かないといけなかったり、火曜の午後は3時間ぐらい座学で研修があるため、睡魔とも戦わないといけないと思われる。

好きなことができないため、死亡(仕事の考え方を改めろ)

 

明日の先輩とのランチも楽しみにしていたのに、少し憂鬱。

ずっと会おうと言っていたので、なんか勢いで先輩に連絡してみたが、今になって、少ししんどいと思い始めている。原因は様々。間違っても先輩がいやということではない。

ランチした後に、仕事関係で1時間半かけて隣の隣の市まで出かけて、帰りが夜10時ごろになるし、翌日日曜日も同じく仕事関係で立ちっぱなし。

こんな気持ちのままではいけないのだろうが、今のところ、自分の気持ちに正直に説明すると、憂鬱の2字であーる。

でもせっかくこんな私とランチして、もう一人の先輩の結婚祝いを選びに買い物をするので、少しでも楽しい気持ちで出かけたいと思う。

 

私のこの憂鬱はいったいどこから湧き出てきているのか。

分からない。以上。

 

月に一度の会議。本質は会議という名の、偉い人の話を聞いて気を引き締めなさいと言われる会。

昔はそんな位置付けではなく、言われなくても社員全員の気が引き締まる日だったはず。内容が変わってしまった。私はそれを経験していないけど。

 

自分が何者でもないという虚無感、恐怖感。

昨日やったかな。ふと、自分がこれまで自分だと思っていたものがなくなった今、これからの目標もないし、誰かと生きていこうという希望もない。そんな自分がなんの価値もないようにしか思えず、虚無感に襲われた。ほんと、急に。飲み込まれていく感覚。ブラックホールに飲み込まれるような(飲み込まれたこともないし、見た事もないけど)、自分がフワーッとチリとか霧みたいになって、蒸発みたいに消えていくような。

多分やけど、それが漠然として憂鬱感とか不安感の正体なのかもしれん。

 

これから先のやりたいことも何にもなくて、やることも立場もない仕事に来て、毎月それなりのお給料をいただきながら漫然と過ごす日々。で、いいのかどうかも判断つかず

それこそ、毎日なんのために生きているのかと思う。

仕事をして給料をいただくのは自分のためかもしれないけど、じゃあ自分はなんのために生きているのだろうか

そうなると、仕事してお給料をいただくのもなんのためにいただいているのか

ただ漫然と生きている自分のために使うためにもらっているとしたら、これほど馬鹿らしいことはないと思う

単純にお金の無駄遣いだと思うし、私が生きているだけで様々なものを消費してしまうので環境に悪い。

と、ここまで考えたところで、自分のことをここまでゴミ同然に思っているけど、自分大丈夫そ?と思った。

別に悲観的にそう思っているわけでも、被害者意識的に同情を誘いたいためでも、感情的になっているわけでもなくて、本当にそう思うのだよ。

 

そう、ただ漫然と生きているだけの自分。

この日々になんの意味があって、価値があるんだろうか。

今こそ、心の底からその問いに向き合えそうな気がする。

答えは死ぬ寸前まで出ないんだろうけど。

 

自分はやっぱり、誰かのために生きて動いていることが好きなのだろうか?

でも誰かの幸せに責任を持つって、私の周りにいるようなすごい人たち(境涯や心の器の広い人たちのこと)ができることであって、私にはまだまだそういう余裕がないと思っているから、なんか違う気がする。

まぁでも少なくとも、誰かのために動いて自分の価値を意義づけるためには、自分にとってはいいんだろうね。

 

 

キャンプ。

キャンプに行きたい。

行きたすぎる。

毎日、キャンプ動画を見ては、何を買おうかなどの予定を立てまくる。

 

しかし、未だ何一つとして、キャンプギアなるものを手に入れていないし、テントの建て方なんて、小学校以来やってもいないから分からない。

 

今、私にあるのは、キャンプで大自然の中に思い切り身を投じたいと言う欲求と、はるか昔のキャンプ経験だけだ。

なんて浅はかなのでしょう笑。

 

でもきっとキャンプ経験豊富な諸先輩たちからしたら、それでも大丈夫だよ〜、やってみなよ〜と背中を押してくださるんだろう。

でもね、実際にキャンプするの、私なんだよね。なんの知識も装備もなしに出かけていったら、えらい目にあるのは目に見えている・・。

 

テントと寝袋があればできるとか言うもんじゃないはず。(当たり前)

もっと動画でいろんな知識をいただいて、装備も凝らなくていいけど、必要最低限、身を守れるものを揃えて、贅沢を言えば、せっかくのキャンプを楽しめる程度の余裕を持てる状態にはしていきたい。

 

とかなんとか言っちゃってると、それなりに資金が必要になってくることが、どんどん浮き彫りになってくる。

 

そもそも、ここ2年ほどの間に、ミニマリストを目指すと豪語して、家にあった必要ないと決めたものたちを、勢いよく断捨離してきた。

と言うことはだ、キャンプなんぞに着ていけるようなものは、ミニマリスト生活には必要ないと判断されて然りなわけで、そんなもの、うちにあるわけない。笑

もはや、着ていくものから揃えなくてはならない現状なのだよ。

 

テントも流石に実家にあるものは5人用家族用とかなので、ソロキャンには不向き。寝袋ぐらいはあるかもしれないけど。

せっかく買うならある程度はいいものをと考えている。うーむ。お金がいる。

 

しかし、私には目下、目の前に達成直前の目標があるのだ。

奨学金完済」!!!

 

この年末に、大学時代に何も考えず使い放題してきたあの奨学金の返済が全て終わるのだ。しかも総額の半分を昨年と今年とで、繰上げ返済だ。万歳。

来月の賞与が無事に納金されれば、それを使って返済できる予定で1年進めてきた。

あと9年かかるところを縮めた自分の努力に、まじで乾杯!!

嫁入り前に奨学金完済の目標を達成できそうで、泣いちゃう!!

 

と言うわけで、資金はそれを終えた後の残金で賄おうと思っている。

予定は立っているし、ほぼ間違いなく達成できるのだけど、心配性の私は、実際にそうなってみないと、不安で。

調子乗って使ってしまって、1年我慢して貯金してきたものが、パーになる可能性もある。

だから、実際に完済し終わって初めて、その中から買える範囲でギア収集に努めて行こうと言うわけなのだ。

 

趣味を始めるにも、大学時代の自分のツケをしっかり払ってからという、なんともシュールな現在なのでした。

あと少し・・我慢するぞ・・

 

 

 

今のうちに大事なことをちゃんと手元に置いておこう。

「忙しいうちが花」

「求められているうちが花」

とはよく言ったもので、近頃そんなことを胸に迫って考えるようになった。

 

長きにわたって、日常の当たり前だったことが終わりを告げ、

その慌ただしかった日常が静かになりつつある。

いわゆる、一つの節目を迎えたことになるだろうと思う。

 

ひどい時には、いつ寝て、いつ起きたのかの区別もつかないような日々が続くこともあって、自分が今何をしているのか、いつも朧げな時もあったっけ。

振り返ってみてもそれらの日々を克明に思い出すことは難しい。

 

そんな毎日だったから、渦中にいる時はその現実から逃げたくて逃げたくて仕方なかったのも、事実で。

正直いつもそんなふうに思っていたと言っても過言ではない気がする。

 

積極的に精力的に動いていた時もあれば、要請を受けてそれに応える形で動いていた時もある。

しかも、どんな時にも漏れなく毎月のPMSに悩まされながら。

 

そして私は、人前に出るのが得意なタイプではない。大勢の人を引っ張っていける器もない人間だった。

でも、それを求められていたから、無意識にストレスが溜まっていて、そのアレルギー症状のようなものが、あちこちに出てしまって大変だった。

 

だから、逃げたいと思う理由なら掃いて捨てるほどあった。

そして、紆余曲折ありながら、なんとか耐えた。その場に居続けた。(実質、本当に「居続けた」だけなのだと思っている)

 

頑張ったなぁとはお世辞にも言えないけれど、

逃げなかったなぁとはしみじみ思える。

だからと言って、あの日々に戻りたいかと聞かれれば、

「もう結構です」と思ってしまうのがこれまた現実ですが。

 

という経緯を経て今。

 

急にヒマ。

こわ!!

ソワソワする!!

 

何をしたらいいのか、、とまでは申しませんが。

忙しい時に、自分であえてつくっていた休みとは何かが違う。

今まで当たり前に連絡を取り合っていた人たちとも連絡を取り合う正当な理由がない。

うむ。。

単純に寂しい。

 

と言う具合に、冒頭の言葉が頭を過ったわけなのです。

 

仕事を定年退職した父が、まだまだバリバリ働いている母の小言に

「忙しいうちが花よ、母さん」

と投げかけていた場面が思い出される。

戦後すぐ生まれた世代の父が、自分から寂しいなどと言う言葉は決して言わないが、

それでも人から求められていたかつての自分を懐かしく思うのだろうなと、

逆に私が寂しくなってしまった。やめてくれぃ父ちゃん。

 

まだ周りとの繋がりがあるうちに、個人的な繋がりに変化させて、今後の人生の豊かさにしていきたいと思う今日この頃なのでした。

 

 

 

 

小さな生命に感じる多くのこと。

さっき、職場関連の月刊誌に乗っていたQRコードを、スマホで読み取って詳しく見ようと思ったら、そのページに貼り付けてあったYouTubeの音だけ流れ始めて、静まり返った事務所にノー天気なミュージックを流してしまった。

内容は、ユネスコの「世界寺子屋運動」の一環である、「書きそんじハガキキャンペーン」の紹介ページに乗っていたキャンペーンの紹介映像。書きそんじハガキたった11枚でカンボジアで教育の機会がない子供一人が1ヶ月間、寺子屋(途上国で教育を受けられる機関)に通えるという画期的なもの。

いたって真面目。

誰にも言い訳できず、たった今、晴れて私は仕事中に私的な映像を見ていた女という烙印を押されました。

 

話は変わりまして、

め、め、めぃ、姪っ子、が、姪っ子ちゃんが、うっまれました〜〜!!

めでたい!!生後1日!!

今は里帰り出産の地にいて、まだ会えていませんが、紛れもなくこの世に誕生しました。これぞ、爆誕!!

私の血を分けた(うっすい血)、姪っ子・・・

早く会える日が来ることを願いつつ。。

 

自分が死にたい死にたいと連呼しているここ数年があるから思うことを少し。

 

姪っ子ちゃんは、当然のことながら、弟とそのお嫁さんが強く希望してこの世に生を受けたよね。

ここから長生き頑張ったとして、100年近くを生き抜いていかねばならない。2121年の地球を見る人になるかもしれない。(すご・・)

その途上には、今の小さな体では想像もつかないほど、いくつかの熾烈な経験が待ち受けているだろうし、時にはそれを一人で耐え抜かねばならない時もあるかもしれないよね。(考えただけで泣けてくる)

 

私たちはどんどん年老いて、彼女を守れなくなっていく時代も来るかもしれない。

守りたくても、この手で守れなくなる。

 

だからどうか、この世の中が、彼女にとって希望で満ち溢れた世界であってほしいなと思うわけであります。

生きたいと、当然のように思える世界であってほしい。

うむ。

この世に生まれたばかりの尊い命を見て、漠然とそう思わずにはいられなかった。

うむ。

 

何が言いたいって、この世に生を受けて誕生したからには、「生きていかねばならない」と言うことだね。どんなに辛くったって、死にたいと思ったって、人生は「生きていかねばならない」。

なかなかなかなか。

 

 

 

 

飲んで忘れる、大人になるってこうゆーこと。

昨晩、数年ぶりに自分でワインを買って飲みました。

チーズ数種とともに飲みました。

暗いお部屋に暖かい色の照明とテレビのみを付けて飲みました。

 

夜、友人たちと会って語り合ったが、自分の中でそれまでのことがなんとも煮え切らない気持ちで滞留していて、胃の底にヘドロのようにして溜まってた。

 

んでさ、帰りの車の中で、急に自暴自棄が発動し、酔って忘れようとなった。

(注:お酒ほとんど飲めません)

それで何飲むかなぁって考えた時に、赤ワイン!ってなった。チーズも!!って。

 

疲れてたし、すぐにでも帰りつきたかったけど、家への直行の道を通り過ぎて、チーズ類が豊富であろうスーパーに向かう。

 

お酒コーナーでワインを見るが、どれがいいのかわからないし、どのワインも料理用に見えてしまうから素人は!と自分で突っ込みながら、物色。

ワインなんて普段飲まないし、自分がどうなるのか本当にわからないから、とりあえず甘口と書いてある、度数低めを選んだ。正解だったと後で痛感することに!

 

チーズも、金額気にせずに、いつか買ってみたいなぁと思っていたチーズアソートをカゴに投げやり全開で投げ込んだ。食ってやる!!的な。お前感謝しろよ!的な。

ポテチも買って、えのきベーコンも作るからとベーコンも買った。

 

帰ってとにかく風呂!と思い、行水して髪を乾かしながらえのきベーコンを焼く。蒸らし用の水を入れすぎて、少し残念。ベーコンの油ギトギトが好きなのに。何洗い流してくれちゃってんのよ。

 

待ちきれず、髪乾かすのもそこそこに、ワインとコップとチーズたちとえのきベーコンを皿に乗せたものを全部一つのトレーニ乗せて、テレビの前に。くぅ〜!!たまらんなぁ。

 

ワインをコポコポコポコポ。

燻製のチーズ(燻製のチーズ草)をひとかじりして味わう。そして、ワインという名の度数10%のアルコホールをクピ。(いや、何その効果音!こわ!!)

 

うんめっ!!!

最初香りが、葡萄の腐った臭いみたいな、甘ったるい匂いだったから心配だったけど、めっちゃうまいやん!

何これ!!

 

チーズもうんめぇ〜

止まらない!!

えのきベーコンはもう焼き具合とか関係ねぇ!なんでもうまい!

 

気づけば数時間前のモヤモヤも吹っ飛び(間違いなく一時的にですが)、ほろ酔いでテレビ番組を見ると、昔みたいに大笑いできるので楽しくてしょうがなくて。

これが飲んで忘れるってやつか?

財布にも体にも悪いことを覚えてしまった。

成人してから何年経ってんだよ〜。

はい、14年です。

いいんだよ、気付くのがいつかなんて。

お酒強くなれるといいなぁ。

 

といった具合に、自分でも驚くほどワインが進み、顔や全身が真っ赤になるぐらいで酔った感覚がないまま、200mlぐらいを飲み干していました。

お酒の飲み方知らないから、危険だったら誰か教えてください笑。

多分今夜もやると思うから笑。

 

 

 

 

どう足掻いても悪い方にしかいかない時はどうしたらいい。

 

 朝は普通にスキンシップしたのに、午前中、急な落ち込みに襲われる。どうしようもなく悲しくて、今にも大粒の涙が溢れそう。何が悲しいのかと問われても、漠然としか表しようがない。

 

 生理2日前のどん底の精神状態で、大好きな人と別れ話するべきじゃないと、奥底にミジンコレベルでかすかに残る理性が、ちゃんと教えてくれていたのに、LINEを打つ手が止まらず、考えられない頭で考えた話はどんどん核心へ向かう。

 

 ちゃんと整理したくて足洗おうとしてるのに、その先にある見返りが孤独って、控えめに言って地獄じゃない?

 

 でも冷静になれ自分!あの人は自分に味方してくれる人が欲しいだけなんだ!たくさん自分の中で感じることや思うことや考えることがあって、それを吐き出したいだけなんだ!そばに味方を置いておきたいんだ!

 私はそこと共鳴してしまったんだ!私も同じ!寂しかったし、四面楚歌で孤独で辛かった!気持ちをわかってくれる人、共鳴してくれる人を欲してた!先輩も同期も、みんなが私を奇異な目で見ていた。味方がいなくていつも孤独だったから、共鳴してしまった。

 

 私は先輩から傷つけられた!「心がない」という声が上がっていると言われた!一人の人間に対して、あなた心がないよって言わなくない?私、心尽くしてきたつもりだったし、自分なりにせいいっぱいやってたつもりだった。もう一回問う。一人の人間に対して、心がないって面と向かって言う?私はあの時から、怖くて仕方がない。誰が言っていたのかも教えてもらえなかったから、全ての人に対して、疑心暗鬼になっていたことを今になって自覚した。だから誰とも心を通じ合わせることができなかったんだ。なるほどね。

 

 私は、話している人の感情を表情とか言葉の話し方とかで感じることができると思ってる。そして結構当たってる。いわゆるHSP

 あの時、私にそれを教えてくれたのは親しい先輩だったけど、あの言葉は、きっとその先輩自身もそう思っていたことだったと思うし、それを私に言ってもいいんだと判断したのは、私を懲らしめておかないとという気持ちがあったんじゃないかと思う。

 

 でももし自分がその当時の自分を見ていたら、同じように感じただろうし、同じように行動したと思う。この世界は、この世界の人間らしくない行動や発言に厳しい。だから目立っただろうし、そういう人間に対しての周りの反応は引くほど早い。そして残酷。

 

 

 

 

時系列がなくて、クソみたいな感情のぶつけ場所になってしまいました。

たまにはいいか。

あ、いつもかな。

 

 

 

 

 

朝はつらけれども。

今日は少し日記風にしてみようかなぁ。

 

朝の目覚めは最悪だった〜。

なんせ、昨晩はノンアルで飲みながら映画を鑑賞中にそのまま寝てしまって。

間接照明つけっぱだったからか、いつもより寝た感じがしなかった。

胃のなかに大量のチキン南蛮とチョリソー4本が溜まっていたし。

 

タイマーで付いたテレビで起きたけど、ちゃんと時間を認識できるレベルで起きたのはそこから40分以上経過した、6:47ごろ。

もう完全に間に合わないと諦めて、私の次に出社する彼に、その旨を連絡して、気持ちに区切りをつけました。

ちなみに、いつもは7時過ぎには出社。

 

雨だし、寒いし、髪の毛ボサボサだし、胃が重いし、最悪の朝。

もう休んでいっかなと思った。

ダメだなと思い直した。

 

どうして私はこんなに真面目なのだろう。

勤続12年。真面目だけが取り柄でクソ真面目に働き続けてきたのだから、ズル休みという名の休養日ぐらい設けてもいいだろう。

 

でも真面目に支度をし始める。

 

こういう日は、もう自分を甘やかすに限る。と、朝から開き直る。

始業前、朝からコーヒーをブルジョワ気分で(なんか古い?)優雅に楽しみながらパソコンをいじる。

仕事という仕事もなくて、追われることがないから、こんなこともできるのが本当に救いである。本当に。

今日は夜に何の予定もないから、帰ったらすぐに寝る準備をしてやるとか、すでに一日の終わりの時まで自分を甘やかすことを考え始める。そんな具合に一日を始めると、比較的気持ちが楽になる。

 

ところが始業後、2ヶ月ちょい放っておいた仕事が妙に気になり始める。

確かに放っとき過ぎたな、と自省して、保存年限が一番古いものでも9月の初めとかにしかなってないファイルを開き始めた。

 

実際にこの仕事を動かすのは私ではないのだが、やけに私に全ての責任が乗っかっているような気がする。

それはまぁ、全体像を把握しているのが私だけだから仕方ないんだけど。

ただ、私の頭の中にある状況を、定年を過ぎたおじさんに説明して、その通りに動いてもらうのは至難の業である。というか無理に近いよね。となればもう、私がおじさんに忖度しながら、『上手にやる』しかない。この『上手にやる』っちゅーのが、私は嫌い。

そんなこと言ったら、なんの仕事もできないよとなるかもしれませんが。

 

そんなこんなで、いろんなことを考えながら手は順調にファイルを整理し続けている。順調じゃん。すこぶる順調よ。

気分も悪くない。むしろ今日みたいな朝にしては、珍しくスッキリしている。

 

薬飲んだのもあるだろうな。

私の体には、薬と一緒に水をガブガブ飲むのが効くらしい。

そのほうが早く溶けるんだろうか。

そうやって飲んだ日はとても気分がいい。

 

あっという間にお昼。

いい感じ。ノってる日は昼休憩時間まで作業が捗る。ウェイウェイ♪♪

 

炊き込みご飯とカロリーメイト200カロリーとカフェオレ。

軽食だと謳ったが、どう考えてもカロリー過多。笑

でもこのぐらいの腰掛け程度の食事が今日は気分だったので、ちょうど良し。

 

いつもは自宅で昼食をとる後輩ちゃんが珍しく給湯室で食べてた。

給付金についてガヤガヤやってるワイドショーを見ながら、何やら難しいお顔。

かわいいな。

どれ、姉さんも一緒に考えてあげちゃうぞ。

 

午後は人がいつもの半分で、自分の島には全員いるけど、比較的静かで気分よき。

人が少なくて気分が安らぐという感覚も、普段から騒がしいところで我慢して働いているからだよなあ。と、ふと思う。毎日この状態だったら、今日みたいな感覚もないし、人生山あり谷ありで良い瞬間をより実感するんだろうなと、いきなり思索に耽る。

 

何が言いたいのかわかりませんが、今日は甘いものをつまんで、ゆっくりお風呂にも浸かって、暖かいお布団でぐっすりしようと思います。

 

 

あ!!

掛け布団買わなくては!

今日行ってこようかな。。