スイッチひとつ。
今日、日刊の新聞に、夏井いつきさんの記事が掲載されていた。
あのプレバトでお馴染みの、夏井先生だ。
いわゆるインタビュー記事ではなく、取材に来た記者が、逆に俳句の指南を受けるという、一風変わった取材内容だった。そんな記事の冒頭に引き込まれた。
私は、文章は描くのも読むのも好きだけど、俳句や詩歌などは、どうしても難しく感じて、目の前にすると、つい足踏みしてしまう。
正直、記者に厳しくもユーモラスに指導する内容の記事は楽しく読めたが、俳句とはこう作るものだという部分の内容はよく分からなかった。
ただ、共感をするところもあった。
「俳句のタネを拾う気持ちで暮らせば、景色が全部ありがたいもの、楽しいものに見える。単純な話なんですよ。俳句をやり出すと、全てがタネになって、人生から退屈がなくなりますよ」
文章にも言えるのではないかと思った。
エッセイなどは特に、日常の切り取りのようなものだと思う。
忙しい毎日の中では、気に留めないようなことが、ひとたび文章にしてみれば、他人からの共感や感動や賛美の対象になることもあるだろうし、書いた本人もなんでもない退屈な日常の景色が違って見えてくる。
人って、瞬間瞬間に感じたことを、次の瞬間には忘れている。
せっかく面白いことや、普段感じないことを思ったのにだ。
もしも、それらを全部覚えていることができたなら、壮大なエッセイ集ができるだろう。
毎日毎日、同じルーティンの生活をしている人だって、全く同じ毎日を送れる人はいないと思う。生きていれば変化があるし、家族がいれば少なからずいろんな影響を受ける。
その些細な変化の中に、どれほどのエピソードが含まれているだろう。
朝の出勤時に、いつもは会わない人にあった。
その人が風変わりな帽子を被っていた。
どんな人なのだろうと想像が膨らんで楽しくなった。
もうそれだけで、面白い文章がかけてしまいそうだ。
退屈な日々を一瞬で変化させる方法は、案外自分の中のスイッチひとつなのかもしれない。