日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

横断歩道。

 

昨日、信号機のない横断歩道を渡った時のこと。

 

その場所はよく警察が張っていて、歩行者が待っているのに一時停止をしなかった車が、検挙されることで有名なところ。

 

そこをよく通るドライバーならば、歩行者がいるときは検挙されるリスクより一旦停止の手間を選ぶのが通例になってきている。

 

わたし自身も気をつけて運転をしている場所ではあるけど、昨日は歩行者としてその横断歩道を渡った。

職場のすぐ近くにスーパーがあり、お昼ご飯などを買いに行く時は、その横断歩道を使うのだ。

 

 

買い物を済ませてそこを渡ろうと左右を見ると、右からの車はなかったが、左からは少し遠くに車が走ってきているのが見えた。

 

少し待って、停まってもらってから渡ってもよかったけど、小走りで渡ってしまった。

現に小走りで渡れないほどの距離ではなかったし、何より、わざわざわたし一人のために車を一台停止させてしまうことの申し訳なさが勝ってしまった。

 

今、渡る人はわたししかいないし、ここで一度停まるのは嫌だろうな、めんどくさいと感じさせてしまうだろうな。

そんな思いが頭をよぎったのだ。

 

渡り終えた後に、自分、なんて優しいんだろうと思った。笑

別に知り合いでも友人でも恩人でもない見ず知らずのドライバーに、そこまで気を遣うなんて。そして自分が走ればいいと思うなんて。

 

多分そこらへんにいる人たちや、一緒に働いているわたしが知りうる限り人並み以上に心が使える同僚たちだって、多分そんなこと考えないと思う。

別にひどい人間とは思わなくて、それが世間の普通なんだと思う。

 

だけど、昨日はそんな自分が愛おしく感じられた。

別にしなくても、誰も怒らないし咎めないし非難されない。逆に言うと、誰も見ていないし誰も褒めてはくれない。

そんなのを、わざわざやっちゃう自分、偉いじゃん!って。

 

少しずつ自分のことをちゃんと褒めてあげられて、好きになっていけている気がして、とても嬉しかった。

 

ゆくゆくは、何もしてなくても病んでても、自分すごいと褒めてあげられるようになりたいと思っている。

 

 

 

 

ささやかで贅沢な夢。

 

夢がある。

ささやかな、今のところ何ひとつ現実味のない、いわゆる本当に夢のような話。

 

結婚して子育てが少し落ち着いたら、まだ体の動くうちに、小さなカフェをやりたい

という夢。

 

 

それはわたしの大事な人たちの憩いの場であってほしいし、わたしみたいな一人を好む人の大切な場所でもあってほしい。

もちろん、そういう場所になれるのならば、わたしにとってもきっと大事な場所になるだろうなと思う。

 

まるで家のようでもあるし、かと思えば非日常でもあるし、いつまでも居たいと思えるような場所がいいなぁ。

 

コーヒーはこだわりの一杯を出したい。(今のところ知識は皆無)

お水が美味しいお店でありたい。

メニューはそう多くなくて良くて、お食事メニューはないかもしれない。し、あるかもしれない。

その代わり、来た人の午後のひとときを彩れるような手作りのスイーツを出したい。

 

たっぷりのホイップの横に置いた濃厚チーズケーキに自家製のジャムを添えたもの。

こだわりのコーヒーで作った品の良いゼリー。

フワッフワのシフォンケーキを、これまたたっぷりのホイップやフルーツと共に惜しげもなく2切れ乗せたもの。

わたしの母が好きな、色とりどりの白玉フルーツポンチ。

外はカリカリ中は密度高めのふわふわ生地が詰まった、昔ながらの揚げドーナツ。

クッキーアソートなんかも良いねぇ。

レジ横には、おしゃれだけどもったいぶらずにパクパク食べれるぐらいの量が入ったクッキーの詰め合わせや、大きな1切れごとに包装したシフォンケーキ。

全部、シンプルなものがいい。凝ったものは嫌い。

量にこだわるのは、小さい頃、甘いものに飢えていたからかもしれない。

 

 

店内は北欧の家具や食器でいっぱいにして。

ドライフラワーをセンスよく飾って、わたし自身が居心地良い場所にしたい。

 

 

そしてその夢で絶対譲れないのが、本屋さんの併設。

わたしがミステリーものが好きだから、どうしても集まりがちだけど、置きたいのはもっと心安らぐ内容のもの。

暮らしのことや生活のこと、料理のこと、植物のこと、人間のこと。

人間が生き生きと自分らしく生きていることがわかるような本がいい。

手に取ると、それだけで心に陽射しが射すような本がいい。

昔見た絵本なんかがあっても良いなぁ。

小さな子供さんも安心してその空間に馴染めるような。

 

 

でも、こだわりは捨てたくないから、自分の選んだもの以外、『いい』と思ったもの以外、置きたくない。

と、今は思う。

 

こんな贅沢な夢、今世で叶うかは不明。

来世にもこの夢だけは持って行けたらいいなぁと、調子の良いことを考えたりする。

持ち越し持ち越しで、いつかそんな素敵すぎる空間で忙しく動き回るお節介おばさんになれる日が来るのか来ないのか。

 

 

 

 

衝撃的事実。

 

医者から衝撃的事実を告げられる、という機会が巡ってくる人はどのくらいいるのだろうか。

 

日本人で男性の2人に1人、女性の3人に1人がガンにかかる可能性がある時代。

そう言った意味では、自分も年齢を重ねた上では例外ではないと思っておきたいところだなと考えてはいた。

 

そして先日、自分も衝撃的な事実を告げられることがあった。

 

 

 

最近受けた健康診断の問診にて。

 

 

 

『心臓が右にあるんですね〜』

 

・・・・・・・は!?

 

 

『今まで言われたことないですかぁ?』

 

いやありませんっ!!

えっ!右!?

 

『うん、これ(レントゲンみながら)こっちが左側ね、で、こっちが右側。ね?ちょっと右に寄ってるでしょ?普通は左側に寄ってるんだけどねぇ。これは右胸心っていうんですよ。え?言われたことないの?ははは〜あぁそうですか。』

 

えええぇ〜。

健康的には問題はないみたいだけど、一般的に左だとされている一番大事な臓器が反対側にあると知ったら、結構衝撃受けるんだなぁと、半分人ごとみたいに考えてしまった。

 

 

『これからは右側を守らないといけませんね。撃たれそうになった時とか。笑』

 

この先生オモシロイネ!(^人^)

 

 

 

挙句、心電図の際に左側で検査したため(そらそうだよね)、最後に心電図を右側の検査でやり直すことに。

 

なんで今までの問診の先生は、そのことに触れなかったんだろう・・?笑

 

 

 

わくわくが止まらない。

 

先日、ついにiPadが我が家に到着。

大金を支払っての贅沢品の購入に、今も罪悪感がないわけではないけど、届いたiPadにはやはり無条件に心が躍った。

 

初期設定やらiPhoneとの同期やらは、事前にいやと言うほどYouTubeを検索して、実際にやるときにどの動画を見ながらそれらを行うか決めていたので、落ち着いて出来た。

(今がほんとに便利な時代だと猛烈に実感...)

 

まだガシガシ活用できているわけではないけど、すでにiPadの魅力に取り憑かれつつあります。

 

なんてったって、画面が大きいから本当に疲れない!

動画も画像もネット検索画面も、ストレスなく閲覧できる。

案外スマホって、無意識に脳や目が疲れていたんだなと感じています。

 

Apple Pencilも購入したけど、これがまた便利すぎる。

スワイプできる、書ける、一瞬でスクショ撮れる、...楽しい。

絵も描いてみたかったので、さっそくイラストアプリで描いてみたところ、感動!!

早くやっときゃよかった!笑

絵を描くのに、描いたり消したりしなきゃいけないのが嫌だったんだけど、iPadだと消す作業が0.001秒くらい簡単!!(ちょっと何言ってるかわk)

何回失敗してもいいから、楽しく絵を描けるんですよねぇ。

楽しい。

 

あと、メモアプリのGoodnote5は噂通り最高。

思い切って980円の有料版を購入しましたが、正解だったと思う。

所持品減らしたい&ペーパーレスを切望している私にとって、iPadひとつでできるなんて本当に神!!

アプリの使い勝手が良くて、本当にノートのような感覚で使える!

ノートに書き込むだけじゃなくて、関連の書類は全部スキャンして貼り付けれるから、一つのノートに同じ情報がまとまるのも嬉しすぎる。

今までは、ノートはノート、書類は書類用のファイルを別持ちして、カバンが膨らむ要因になっていたので。

 

これは今後、なかなか活躍してくれそうな予感がする。

そのためにも、活用方法をもっと収集して、幅を広げていかないとと思っています。

 

宝の持ち腐れだけにはせぬよう、頑張りたいと思います。

 

 

 

 

会話。

 

仕事中、午後の上司との何気ない会話。

 

 

上司:今日はね、同窓会があるんだよ〜!

 

私:へぇ〜!楽しみですね!夜ですか?

 

上司:・・・当たり前でしょ!笑

 

 

わたし、会話の運び方おかしいですか?

当たり前のことを聞いた場合、つまんねぇ質問だなと思われるのですかね?

 

思うだろうな。確かに。

なるほど。これが私の会話が面白くない片鱗か!!

一捻りした質問をすべきなのか!

頭使わんとな。

ばかにされたくやしーーーーー。

 

 

わたしにもできた。

 

自分を肯定できるようになって、変わったことがある。

どんなに人から突き放されそうになっても、自分を保てるようになった。

 

他人から(もちろん家族は最たるものだけど)嫌われることが極端に怖かった。

今もまだ怖いけど、以前のわたしは他者への依存度がえげつなかったと思う。

 

好きになった人への依存度はまた更に激しく、客観的に見ると、『捨てないで〜!!』と泣きながら体にへばりついて離れない、ぐらいの異常さがあった。

 

だから、いつもよくない恋愛になるし、その都度自分はズッタズタのグッサグサに傷つくし、そのくせ仲直りするとそのことを忘れて、何度も同じことを繰り返していた。

 

結婚をしたいと思うようになった時、そんな自分の依存体質が『結婚』というものに向いていないことを自覚した。と言ってもすぐに治るものでもないから厄介だけど。

 

とにかく、自分を傷つけるための恋愛はもう懲り懲りだったし、年齢的にそんな体力もないと思った時に、ちゃんと自分を好きになって認めてあげたいと心の底から思い、実行に移すことにした。

 

その努力を続けて半年ほど。

どうやらわたしにも自分を好きになる能力はちゃんとあったようで。えぇ。

自分で自分を認めてあげられて、自分で自分を褒めてあげられて、自分で自分を好きだよと満足させてあげられることが、こんなにも満たされることだったなんて知らなかった。

 

そうすると、相手からの突き放しの脅しにも耐えられるようになった。

相手は、わたしが怖くなって『行かないで』と言えば満足するようだった。

でももうドスの効いた声で脅されても、鉄砲で撃たれても(比喩)、ナイフで刺されても(比喩)、あんまり怖くない。

その脅しを使う相手のほうが、不憫に思えて仕方ないのだ。

 

きっと相手も怖いんだ。

だから気持ちが痛いほどわかる。

でもそういう愛情は、一度は気持ちよく心に染み込んだとしても、後になってすいばりのように内側から痛みを伴って自分を攻撃してくるんだよ。

ほんと痛いんだよ。

 

どうして自己肯定感の低い人ばかり、こんなつらい思いばかりしなくちゃいけないんだろう。生きていることがいつもつらいよね。でも生きていかなくちゃいけない。

その分、たった一度の人生が深くふかぁ〜くなる。

 

わたしは、一人でも多くの人の心に寄り添えたらと思うばかりです。

 

 

 

 

 

愛車。

 

今週のお題「人生で一番高い買い物」

 

久々今週のお題見たら、書きやすそうだったから書いてみてます。

 

人生で一番高い買い物というと、『車』です。

車社会で生きているので。

ローンを組みましたが、よくあんな価格のものを自分で買ったなぁと思う。

普通に働いている人の大半が持っているにもかかわらず、自分のこととなると、なんだか現実味を持てなくて、ふわふわした気持ちになったのを覚えています。

今はローンも終わり、完全に自分のものとなった愛車を使って未だに生活しています。

 

納車当日に200キロを走る破天荒をかましたり、毎日平均100キロを走り続けて4年で12万キロを走ったり、精神的に参っているときに近所に車を走らせて横からぶつかられて前方部分が大破したり、知らないうちに助手席側のドアをぶつけられていてショックだったり、たくさんの荷物をギュウギュウに詰めて運んだり、何人かの(今考えると縁のなかった)男性を助手席に乗せたり笑、両隣の県をまたいで遊びに行ったり、母と初めての二人旅行に行ったり、と、とにかくよく働いてくれました。

 

今度3回目の車検を迎えますが、もう少し乗るつもりです。

20万キロぐらいまではいけるか?