日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

わたしにもできた。

 

自分を肯定できるようになって、変わったことがある。

どんなに人から突き放されそうになっても、自分を保てるようになった。

 

他人から(もちろん家族は最たるものだけど)嫌われることが極端に怖かった。

今もまだ怖いけど、以前のわたしは他者への依存度がえげつなかったと思う。

 

好きになった人への依存度はまた更に激しく、客観的に見ると、『捨てないで〜!!』と泣きながら体にへばりついて離れない、ぐらいの異常さがあった。

 

だから、いつもよくない恋愛になるし、その都度自分はズッタズタのグッサグサに傷つくし、そのくせ仲直りするとそのことを忘れて、何度も同じことを繰り返していた。

 

結婚をしたいと思うようになった時、そんな自分の依存体質が『結婚』というものに向いていないことを自覚した。と言ってもすぐに治るものでもないから厄介だけど。

 

とにかく、自分を傷つけるための恋愛はもう懲り懲りだったし、年齢的にそんな体力もないと思った時に、ちゃんと自分を好きになって認めてあげたいと心の底から思い、実行に移すことにした。

 

その努力を続けて半年ほど。

どうやらわたしにも自分を好きになる能力はちゃんとあったようで。えぇ。

自分で自分を認めてあげられて、自分で自分を褒めてあげられて、自分で自分を好きだよと満足させてあげられることが、こんなにも満たされることだったなんて知らなかった。

 

そうすると、相手からの突き放しの脅しにも耐えられるようになった。

相手は、わたしが怖くなって『行かないで』と言えば満足するようだった。

でももうドスの効いた声で脅されても、鉄砲で撃たれても(比喩)、ナイフで刺されても(比喩)、あんまり怖くない。

その脅しを使う相手のほうが、不憫に思えて仕方ないのだ。

 

きっと相手も怖いんだ。

だから気持ちが痛いほどわかる。

でもそういう愛情は、一度は気持ちよく心に染み込んだとしても、後になってすいばりのように内側から痛みを伴って自分を攻撃してくるんだよ。

ほんと痛いんだよ。

 

どうして自己肯定感の低い人ばかり、こんなつらい思いばかりしなくちゃいけないんだろう。生きていることがいつもつらいよね。でも生きていかなくちゃいけない。

その分、たった一度の人生が深くふかぁ〜くなる。

 

わたしは、一人でも多くの人の心に寄り添えたらと思うばかりです。