日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

もっと肩の力を抜いて過ごしたいよね。

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ほ、欲しい・・!笑

 

邪な心もなきにしはあらずですが、このお題に心惹かれたのも事実ですよ、はい。

 

「フリーにはたらく」というなんともこの言葉自体が、縛りのないフワッとした言葉。

いろんなことを想像させてくれる。

フリーランス、職場で自由に振る舞う、いろんな職を転々とする働き方・・とか。

 

私はというと、「フリーにはたらく」というこの言葉自体にキラキラとした憧れは抱いているけど、実際に自分の身に起こってしまうことを考えると、ちょっと自分とは違う世界の言葉に見えてしまうなぁと思った。

さっきの中の、どれにも当てはまらないのが現実ですし。

 

会社員の私。

生活水準なんて良くて〝中の上〟になるかならないか。

大して物欲もないのでブランド品を買うこともないし、ものを増やしたくないという性格のおかげで、狭い部屋に必要なものだけを置いて生活しているような女である。

 

SNSや雑誌で見るような、一人で(実際には周りの多くの人の力を借りているのだろうけど)かっこよく働いてお金を稼いでおしゃれな生活して・・って、どう考えても私らしくないなぁと思った。

 

じゃあ、私にとって「フリーにはたらく」ってなんだろう?

 

『心』かなぁ。

 

 

こんな私にだって不満はたくさんある。

というか、もしかすると普通の人よりそういうことを感じやすいのかもしれないとも思っている。(なぜならHSPという特性を持っているから。)

そういう状況で我慢はたくさんしてる。

理不尽だと思うこともあるし、とにかく毎日いろんな人の顔色伺いまくっていて、疲れる。

 

職場と一人で住む家との往来しかしていない生活で、心が廃れないわけがない。

 

そして、ふと立ち止まった時に、

なんのために生きているのか、

誰のためにこんな思いして頑張るのか、

私はどうしたいのか、

と、本気で考える。

私がいつも答えに窮してしまうのは、3つ目の「私はどうしたいのか」という問いに対して。

いつも自分の考えを置いて、相手の意見や顔色を伺っているから、なかなか目の前の状況をどう思っているのか、どうしたいのかが分からない。

そんなだから、いつも人任せで責任転嫁の癖がついて、仕事の姿勢もいつしか受け身になっている。これでは心も疲弊していく一方だなと思っていた。

 

だからきっと、この問いに答えられるようになることが、私にとって「フリーにはたらく」ことになることのような気がする。

 

環境が「フリー」なのではなく、心が「フリー」。

きっと、環境が「フリー」だったとしても、心が汲々としていたら、感じることは今と何も変わらないだろうなって思うから。