生きづらさを抱えて生きていく。
昨日、姪っ子のお食い初めの儀式のために実家へ帰った。
0歳児の姪っ子は、この世に生まれてまだ101日(昨日は101日目だった)だというのに、ベテランの人間たちをこんなにも魅了してる。
だって可愛いもん。基本無愛想なのに、1秒微笑みかけられると心は持ってかれる。
そりゃぁ、みんな夢中になるよね。
そして無事、いやっちゅうほどの撮影会や食事を平らげて、会はお開き。
妹とリビングでくつろいでいる時(感染対策で全部実家で行った)、我々”姉妹”の「愛情不足」の話題になった。
私は話しながら自分の頭の中を整理していくという感覚があった。
妹は、自身と周りとの違いに戸惑っているという実感はありつつも、私ほど学術的に考えたことはなかったみたいで、私が説明で使う言葉たちに、それこそ戸惑いを見せていた。
それを半ば強引に説き伏せつつ、妹にも「愛情不足」で起こりうる様々な事象の同意をもらった時、休んでいた母が起きてきて、私たちに加わった。
図らずも、いつか伝えたいと思っていたタイミングがあっさり来たという感じ。
私は、母を嫌いなわけでも憎んでいるわけでもない。
関係は良好だし、母も私を一人の大人として対等に見てくれている感覚がある。
だから母を責めているような受け止め方をされるのは、本意ではない。
それでも淡々と伝える中で、母は拗ねた。笑
拗ねるのだ。笑
「お母さんが悪者みたいやん」
そうくるか!って思った。笑
別に今更、謝ってもらっても何も変わらないし、悪者にもなってほしくない。
でも、あらゆる文献によると、どうやら大人になってからでも、親や第三者(恋人や友人や配偶者)からの愛情で不足している部分の愛着は埋め合わせることができるようなのだ。
だから、過去がどうあれ、今は時間的にも金銭的にも心の余裕があるんだから、恥ずかしいと想うぐらいの愛情を直接表現してほしい、と思うわけです。いい大人だけれども。自分の子供なんだから。
拗ねる母を宥めつつ、ことの本意をわかってもらう。
そして、前から気になっていたことを切り出した。
「お母さんも、そうだったんじゃない?」
すると母は、
「お母さんも親にゆっくり話を聞いてもらったことなんてないから、どうしたらいいのかが分からんかったんかもしれん」と言った。
母方の実家は漁師の家庭で、祖父はほとんど海に出ていて家にいなかったし、家では母の姉弟意外に、なぜか従姉妹や親戚の子供たちが一緒くたになって育っていたらしい。
今から50年以上も前だから、そういうことも珍しくなかったんだろう。
そんな中、確かにあの祖母が、自分たちの子供の話にゆっくりと耳を傾けてあげていたかというと、少し考えにくいなと思う。
実際、母はそうしてもらえた記憶はないと言っているし。
「どうしたらいいのか分からなかった」「やり方が分からない」
というのは、考えてみれば、自分にも心当たりがある話だ。
私も友人や後輩に対して距離感をどう取ったらいいのか分からない。
でもそれは、あくまでも他人に対してだからだと、たかを括っていた。
ただ今回、母の話を聞いて、これは覚悟して臨まないと、我が子に対しても例外ではなくなるぞという危機感が生まれた。
いわゆる「宿命」というやつだろうか。
こわいこわい。
しかして母は、娘たちに胸の内をカミングアウトされても、その後の行動に変化は見られなかったし、なんなら少し気分を害していた笑。(ごめん、母よ)
もうそれは求めても仕方ないのかもしれない。
母は、大事な娘たちに「与えること」よりも、自分が足りない部分を「補うこと」こと、つまりは生きることに、ただ必死なのかもしれない。
それが、娘たちが苦しんでいるのを見る以上の苦しみなのだとしたら、私にはそれ以上求めることはできないとの答えが出ている。
自分がどうすべきか、どうなるべきか、はっきりと分かっているから、その道を進んでいくしかない。明確な方途はないけど、探さないと。