その人を想うだけで。
その笑顔を思い出すだけで、心の底から熱いものが込み上げて涙が流れる、そんな人は、人生の中でどれほどいるだろうか。
私には、笑顔を想うだけで慈愛の深さに涙してしまう人がいる。
大学の吹奏楽部の恩師。
大学の職員でもなく、部活の顧問でもない。
全くの大学外部の方でありながら、学生たちの強い要望を受けて指揮台に立ってくださった、I先生だ。
私はあれほど慈愛と情熱と繊細さを兼ね備えている方を、一人を除いて他に知らない。
私がI先生のことを語るなんてかなり烏滸がましいけど、語らずにはいられない人間性を持った方だったと思う。
先生は、大阪フィルハーモニー交響楽団の首席トロンボーン奏者だった。
大阪音楽大学卒業後、ドイツ留学を経て大阪フィルに入団。
その後、当時、無名の楽団を全国大会常連のレベルにまで成長させて来られた。
ということも、恥ずかしいけど大学在学中には全く知らなくて。
ただトロンボーン奏者であることと、その音色が、ただごとではないほど柔らかくて優しくて溶けるような音をしていたことだけを覚えている。
その音は、I先生そのもののような気もした。
先生は、どんな些細な音の違いや音程のズレも見逃さなかった。
下手な私が、上手い人たちの中に入るだけで、瞬時にその不協和音に気付かれて、ものすごく苦い顔で私の方を睨まれたこともあったなぁ。どの楽器の、誰が、その音を出しているのか、一瞬一瞬、全て把握されているかのようだった。実際、そうだったのかもしれない。
しかし、先生のすごさは、それとは真逆のダイナミクスをも兼ね備えていることにあると思った。
先生をお迎えしての合奏はとても緊張する。私はいつもビクビクして、間違わないように、周りの人に音とリズムを合わせられるようにと、萎縮していた。純粋に音楽を楽しもうとか、聞いてくださる方にどんな風に届けたいとか考える余裕がなかった。
そんな時、先生から叱咤とも激励ともつかぬ檄が飛んでくる。
「もっと情熱をぶつけてきなさい!!」「萎縮してたらあかーん!威風も堂々と奏でなさい!」「そうや!!それでこそ君たちの音や!!」
詳細には覚えていないけど、こんな感じ。この檄がいつも私たちの心を鼓舞した。
それはなぜか。
先生は音以上に、演奏する私たち学生の心に非常に敏感だった。と思う。
だからこそ、変にうまく演奏しようとか、自信ないからこのくらいでいいやとか、そんな気持ちでいる一人一人の心をぶった斬ってくださっていたに違いない。
反面、私たちがその思いに応えるかのようにがむしゃらな演奏をした時には、とても満足そうに笑っていらしたことが忘れられない。それでこそ君たち学生の演奏やと、上手い下手以前に全身全霊で演奏することの大切さを教えてくださった。
私がいつも先生のことを思い出すと、あの柔和な優しい笑みが浮かぶ。
当時の楽団員約170名の中で、私なんて一番先生との関わりが無かったのではないかと思うほど、滅多にお話なんてできなかったけど、そのお人柄は指揮台の上のお姿と、その微笑みから伝わってきた。
本当は雲の上の人で、私が近づけるような存在じゃないはずなのに、会うといつも深い愛情を感じさせる微笑みを向けてくださった。一人の団員も漏らさず心に入れてくださっていた。
その証拠に、あるとき、何の戦力にもならないような私の演奏技術の向上を、変化を褒めてくださったことがあった。「(私の苗字を呼び捨てにして)、上手なったなぁ」と。楽団にいて、一番嬉しかったんじゃないかな。
その時には自分のことしか考えられなくて、嬉しい嬉しいだけだったけど。
今思えば、ちゃんと見ていてくださったんだなぁと、胸が熱くなる。
もっとちゃんと先生に向き合って、下手なりにたくさん教えを乞えばよかった。
どうでもいいプライドなんて捨てて、恥をかきながら練習すればよかった。
技術だけじゃなくて、先生の人格からもたくさん学びたかった。
今になって、心底そう思う。
そして私も、笑顔を向けただけで、人の心を温かく照らす、そんな人間になりたいと、思わずにはいられないのです。
今日も先生のあの満足そうな笑顔が、私に生きる勇気と胸を張って挑戦する心に火をつけてくださる。本当にそう感じる。
いつか私も、先生のように思い出の中で人を励ませる存在になれるように、日々精進していきます。
I先生は、2020年1月に永眠されました。
亡くなる直前まで、最後の最後まで指揮を振り続けておられたとのこと。
尊敬する先生に、またどこかでお会いできることを祈りつつ。