足元から。
今日は、沖縄「慰霊の日」。
これまで幾度となく耳にしてきた、凄惨な77年前の沖縄地上戦で亡くなられた方の命を追悼する日。
本当に現実にこの世で起きたことなのだろうかと、平和な世の中に生まれて育ったわたしには、およそ信じられないようなことが語り継がれている。
本当に人間が人間に対して行うことなのだろうかと、考えられないようなことが起こっていた。
それゆえに、戦火に巻き込まれた人の心は壊れ、憎むべき対象を間違え、「やらなければやられる」という思考に陥ってしまうほど、人間の持つ心の一番醜い部分が増幅し、人間共和の世界を壊してしまったというのも、大きな被害の一つだったのだと思う。
戦争なんて、もってのほかだ。
ふざけている。
絶対に間違っている。
すべきではない。
人の命をなんだと思ってるのか。
今この瞬間にも、戦争によって誰かの命が尽きているかもしれない。
多くの人に祝福されて産まれ、お父さんお母さんの愛情をこれでもかと目一杯受けて育ったその青年に、戦争で死ぬなんていう未来があっていいはずがない。
たくさんの苦労をして、何十年も苦難に耐えながら歴史の一幕一幕を一生懸命生きてきた、おじいちゃんやおばあちゃんが戦争なんかで最期を迎えていいはずがない。
誰もが澄み切った目を輝かせ、無限の可能性を秘めた子供たちに、銃弾が向けられていいはずがない!!!
正直、毎日歯がゆい思いをしている。
いますぐ停戦すべきだと思うのに、いつまで経ってもそうならない。
もういくつの尊い命が失われと思ってんだ!
1分1秒でも早く、停戦すべきだと思うのに、どうもならない。
でも今日、お昼ご飯を食べながらテレビを見ていると、「慰霊の日」の式典が中継されていた。
知事に続いて、小学生の女の子が登壇した。
「児童・生徒の平和メッセージ」で最優秀賞を受賞した詩を朗読するためだった。
黒い服を着た大人たちばかりが参列する、重苦しい雰囲気のなか登場した小学校2年生の小さな女の子は、誘導役員の女性について参列者の前を横切り、幾分緊張した面持ちで彼女の顔の半分ぐらいはあろうマイクの前に立って、顔を上げた。
そして、以下の詩を、大きな良く通る純粋無垢な声で、ゆっくりと、一生懸命に、朗読した。
涙が出た。
平和を希求するとは良く聞かれる言葉だ。
「平和」と叫ぶだけなら、言葉にするだけならいくらでもできる。
一体どれだけの人が、個人レベルで意識して行動しているだろうか。
それをこんな小さな女の子が、平和への道を示す答えを自分で導き出し、行動しようと訴えかけている。
わたしは、どんな識者よりも、どんな国の大統領よりも、どんなに偉い政治評論家、軍事評論家よりも、ノーベル賞を受賞した平和学者よりも、この女の子が偉い!!!と思った。
平和は自分の足元から。
どれだけ平和を謳って素晴らしいことを言っても、自分の家族を大事にできなければ、隣の家の人と仲良くできなければ、母を想う心がないのならば、なんの意味もなさないと、心からそう思います。
小さなポケットに入れた、大きな素晴らしい心がどうかどうか永遠に輝き続けますように、と切に願った。