日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

何も纏わない。

歳を重ねると、素っ裸の自分と向き合う機会が少なくなってくる。

 

もちろん比喩の意味での素っ裸です。

醜い裸の自分は毎日鏡でお会いしています。

何の肩書きもなくて、何にも属していない自分という意味。

文字通り素っ裸。

何もない。

 

年を経るごとにいろんな肩書きと言われるものがひっついてくることあるじゃないですか?職場や地域などなどで。

そんな中、私は何も持っていません。

 

そして人間、なんとも都合のいい生き物のようで、肩書きがあるときはそれはそれで、何やかんやと文句垂れで毎日生きておりましたが、何もなくなるとこれがまたどうしようもなく寂しく悲しくどうしたら良いのかわからなくなるのですな。

 

いやでも、今の状況はほんまにほんまになんにもなくてですね。

職場で大した仕事もなく(将来性のある仕事がないという意味で)、肩書きも任を完全に解かれ、プライベートで夢中になっていることもない。

まるっきりの素っ裸のただの一人の人間なのです。

 

うーむ。

初めての経験。

昔は、大学受験やらなんやらと挑戦するものであったり、将来への希望みたいなものが山ほどありました!

しかし今は、どうしてこの状況なのかをちゃんと見極めて、そしてその状況のなかで何を成すべきかを自分で選び取らないといけないところにいる。

 

非っっっ常に毎日ツラい。

こんなにしんどいことはない。

おそらく、「ここまでの人生で辛かったこと」ぶっちぎりの1位。

 

ただ、その出口の見えないツラさの中で、少しずつ見るべきものが見えてくる瞬間もある。まるで、ツラさを覆い隠していたまやかしの楽しさとかがない分、みるべき本質の周りにあった不純物が削ぎ落とされていくみたいに。

何も食べられないで飢えを感じている時って、なんかこう頭がスーッと冴え渡るじゃないですか?あれに似てるんかなぁ?

 

多分、もっとそれを受け止めないといけない気がしています。

真面目か!と言われそうですが、真面目じゃないから今こうなってる笑。

本物の真面目さんは、やるべきことをやるべき時にやってきているものよ。

逃げている奴はだいたいこうなるのさ。

 

人生、こうも清々しく何も纏わない自分という人間を真っ向から見つめる時間もあまりなく、実は貴重だと思うので、死ぬほどツラいけど、正々堂々正面切って向き合ってやろうと覚悟している今です。

 

こういう類の投稿多いけど、それだけ毎日葛藤してるの。

許してちょ。