日々の暮らしのこと-mico

いろんなことを感じます。そのまま文字にします。

さむいことの良いところ悪いところ。

さむいさむい。

急にとても寒くなった。

ブルっと身震いするし、顔までひんやりしていて、まるで冬みたいだ〜。

 

数日前まで「暑い暑い。どうして日本という国は10月まで猛暑を引きずる国になっちまったんだ」と思っていたのが、この土日に急転した。

 

雨が降り始めたかと思うと、一気に気温が下がり、足元からスースーと寒気が伝わってくるようになった。

 

でも今年の猛暑に辟易していた私は、そんな冬(秋?)の到来を意外と喜んでいる。

夏は髪の毛が大変になるから。

 

でも、寒いのは私にとって、別の弊害を生みやすくなる。

私は鼻炎持ちだ。

 

少しの寒気で、すぐに鼻水が落ち出す。

いつも「シュンシュン」と鼻をすすっている人。それが私です。

 

だから冬はいつも人より厚着を心がける。

汗が出るくらいの厚着でちょうどいい。

 

なのに、数年前までヒートテックの良さを知らなかった私。(矛盾しすぎ)

世話焼きの友達に話したら、「明日、すぐに買いに行って!!」と怒られました。

 

ハァ〜寒いなぁ。

でもこの寒い季節の空気がピンと張り詰めた感じ、好きなのよ。

全てが研ぎ澄まされた感覚になる。

匂いも純度が増すから、肺いっぱいに吸い込んだ時にとても気持ちがいい。

 

あとは、寒い日にあったまりながら、大好物のアイスクリームを食べるのも、楽しみの一つ。うひひ。

 

ファッションも、夏より冬の方が好みのものが見つかりやすい気がする。

ピンチの時はアウターひとつで決まるしね笑

 

人との距離も近くなりやすいのもいいかもね。

もちろんコロナ禍であることは考慮した上で。

人肌が恋しくなるとか、くっついていたほうがあったかいとか。

恋人も友人もぎゅっと距離が縮まるよね。

 

あと2ヶ月半で年の暮れかぁ。

今年はみんなで集まれたりできるかなぁ。

親戚が一堂に会していた頃が懐かしい。

楽しかったよねぇ。

面倒臭いことも多かったけど。

 

そんなこんなで、今日からニットデビューした私なのでした。

みなさん、風邪にはくれぐれもお気をつけて・・

 

 

断捨離したよ。

断捨離しました。

少し前にごっそり。

 

断捨離の時期ってわかりやすいと思う。

色々、詰んできた時。笑

 

詰んでくると、頭に浮かぶのは、なぜか自分ちのクローゼットの中身。

 

ぎゅうぎゅうに押し込まれた洋服たちの姿や、着ていないのに箪笥の肥やしになっている洋服たちが、瞼の裏に浮かぶのよ。

 

そんな頭の中の反芻が、数日に渡って幾度となく繰り返されたのち、いつも唐突に『実行』されるのです。

そう、その日もそれ(断捨離熱)は、突然やってきた。

 

いわゆる断捨離のやり方としてよく言われている、クローゼットの中身を全部出して、現状把握するやつ。あれ意外とやったことなかったの。

でもこれが本当に良かった!!

 

ワンピースならワンピースで並べて出してみる。すると、不思議なことに分類が簡単にできるんですよ。「捨て」「現状維持」「リサイクルセンター」「メルカリ」ってな具合に、一目瞭然ぐらいの感覚!

 

これをボトムスでもトップスでもやり、全お洋服のおそらく6割はさようならしたんじゃないかい?

もう小さな部屋を全部使って分類しまくりましたわ。

しかもバッグ類もやったからね。相当さようならしたね。

 

今回の目的は、もう一つ!

洋服ダンスを1つ(と言っても1つしかないんだが)撤去すること!!

この目的が大きかった!だってこの箪笥の中に一体どれだけの洋服が押し込められていたんだろうというぐらい、私のモヤモヤ頭を席巻していたからね!

そして、箪笥に入れられる量の洋服が所持できないということで、無くさざるを得ない状況を作った!!

 

自分を追い込んだよね笑

さすがに迷ったよ。大学時代からお世話になってきた箪笥さんを手放すのは。けれど、彼女がいる限り私は洋服を詰め込んでしまう・・。

もう背水の陣で臨んだ断捨離でした・・!

ありがとう、数々の洋服やかばんたち・・、そして洋服箪笥さん・・。

 

あ、もう一つ手放す決心をしたものが。

玄関入ってすぐのキッチンに置いてある、小さな食器棚。

買って5年経ってないのでは?と思いますが、決心。

色がうちの家具では唯一こげ茶というくら〜い色なのに加えて、食器があまり入らないし、取り出すときに屈まないといけないので、使い勝手は最悪。

 

調理中に様々、ものが置けるのには重宝していましたが、このほど代替案をしっかり考えた上で、撤去を決めました。

そうすると、いらない食器もはっきりして、食器棚近辺も、とてもスッキリ!

撤去を決めて良かったです!

 

まぁあとは、その洋服箪笥と食器棚、ちゃんと引き取ってもらえれば良いんだけど・・。

来週末、運命の時を迎えようとしているのでした笑

 

 

 

怒りの出どころを考えてみる。

ここ最近の出来事とその時思ったことを振り返ってみた。

 

●4日(月) 我が家へ友人が来る。

久々に来客ということで、お気に入りのカップにお気に入りのお茶を煎じて入れて、たくさんのお菓子を盛り付けて迎える。部屋も必要以上に綺麗になったし、何も恥ずかしくない状態で友人を迎えるも、友人からは特に反応なし。

この「反応なし」に関して、帰った後に、残念に思っている自分がいる。つまり、褒めてほしかったんだね。「私の部屋小綺麗でしょ?どう?」と、内心では思っていたことになる。いや思っていても良いけど、それを認めて褒めてほしがっていたというところがどうなのか。

 

●5日(火)講演会(的なもの)へ行く。

話の内容は非常によくわかったし、そこには何の問題もなかった。

会が始まる前、講演会を聞くための資料が足らず、役員の人が不足分を印刷をしに行っている時間があった。会場内はざわついていたので、あまり気づかなかったが、私以降に入ってきた人のほとんどが資料をもらえずに着席していたらしい。

私はそれに気づかず、ぼっち参加だったので資料に目を通しながら始まるのを待っていたところ、後ろから急に声をかけられたかと思うと、ご婦人の方から、「一緒にみてあげてくれる!?」と、私の資料を隣の人の方へずらされた。一瞬何が起こったか分からなかったが、どうやら隣の方も資料待ちをしていた方だったようで、それに気づいた先程の役員のご婦人が、気づかない私に少しキレたという構図らしい。

なるほど。確かに私なら同じく少しイラッとしただろう。わかるよ。非常にわかる。

だからってねぇ、私だって人間だから傷つく。そんな言われ方やされ方をしたら。その日はこのことで頭がいっぱいになって、腹が立つし、気づけなかった自分も情けないしで、頭ごちゃごちゃして帰った。

 

●6日(水)市外の友人宅へ行く。

この日の訪問は少し心を病んでいる友人宅へ渡したいものがあったので、会いに行くことにした。そんな日なので、私が落ち込んでいる場合じゃないというか、必死に元気な心を育てて向かったわけです。

しかし!!ハマった。渋滞に。しかも3箇所で。こんなことってある!?笑

というわけで、逆に心配かけてしまうほどに到着した頃にはヘトヘトになってしまっていた。行きの移動時間約2時間弱。対面時間30分。

 

●10日(日)実家へ帰る。

実家へ帰るついでに、職場の先輩からお願いごとをされていた。それをすっかり忘れて、自分の家まで戻ってきてしまったのだ。戻ってきて気づいた。しかも片道1時間弱かかる道をもう一度往復しなければならない状況に。このお願い事の背景には別の事情があって、正直このことは私に飛び火してきたようなことなんだけれども、可能だと思ってお願いを了解したのは私なので、どうしようもない。この時点で、私は何かおかしいだろうか?

諦めて17時半出発でもう一度往復することにした。

でも非常に腹が立っている。

 

と、先週の出来事で振り返ってみたが、これはいかん。

本当に由々しき事態だ。

私、何が起こってもマイナス思考じゃないかい。

全部を環境や体調のせいにして腹を立てている。

あぁ。

これは生きていても楽しくないやつや。

そりゃそうやがな。

あかーーーーーーーーん!!!

 

と、最近のイライラやもやもやした感情がなんで出てきているのかを、客観的に見ることも大切かなと思って振り返ってみました。

解決はしないんですけどね。

 

 

核心はついてると思う。

 

毎日毎日やる気が起きず、朝起きた時は死ぬほどツラい。

少し前の私なら、朝が大好きで、早起きも大好きで、快活に目が覚めていたはず。

そんな私はどこへ行ってしまったのでしょうか。と、本気で聞きたいくらい、その時の自分に久しく出会っていません。

仕事中も、席に座ると一切立ち上がる気力がなく、自席で仕事をどうにか見つけながら過ごしていたりする。でも大半は本当に何もする気力がなくて、ぼーっとしている。(毎日周りの方に申し訳なくなる)

休みの日も全く外に出られないほどではないが、以前のように、一人でどこかに行って写真でも撮ってこようかな♪という気持ちにはなれず、これまた体が鉛のように重い。

だから本当なら一日中、家から一歩も動きたくないのだが、私の心がそれを拒んでいる。土日をそうして過ごしてしまっては、本当に人間が終わる気がするのだ。なので、せめて外に出るだけでも頑張ろうと、車で40〜50分の実家へドライブしてみたりしてる。でもそれもまたひどく疲れる。そのくらいのドライブでヘトヘトになることなんかなかったのに、何でどうしてこんなにも体が動かなくなるのか、いつも不思議で仕方ない。

ドライブでこんなにヘトヘトになるのだから、人と話をするなんてことは、自殺行為だ。家に帰ったら、一歩も動けなくなる。自分が情けなくなって、消えてしまいたいと思う。

あと、いつも何かの感情によるものなのか、涙腺に涙が寸止まりしている。きっかけがあれば、いつも泣いてしまう。いい大人がいつもメソメソして情けないなぁと思う。

 

どうしてこうなったのか。

毎日毎日、重ーい黒ーいものがみぞおちの辺りに鎮座していて、笑顔もでない。

 

親に心配かけている自分が許せなかったり、自分の理想の自分になれなくて悔しくて自分が嫌いだったり、周りと比べてばっかりで自分が何者なのかもう分からなくなっていたり。

 

突き詰めていくと、いつも思うことが一つある。

私はありのままの自分を誰かにそのまま受け止めてほしい。

親には、良い子でいないといけないと思って、いつも気を張っていたし、心配かけないように良い子の発言しなきゃと本音を言ったことがない。本音やありのままの私を見せても、気に留めてもらえないし、逆に愛してもらえないと思っていたから。下に2人兄弟がいて、両親の関心や視線は、常に下の子に向けられていたなぁ。子供の自分はいつも両親に見て欲しい・認めて欲しいという焦りに近い思いでいっぱいだったと思う。

 

そう言えばこんなことがあったなぁ。

まだ小学校低学年ぐらいの時。我が家に友達が来て遊んでいた時のこと。ひょんな会話から、友達のことばに母親が味方して、私の味方をしてくれなみたいな場面。幼かった私は、お母さんに味方してもらえなかったのが悔しくて、台所の包丁を持って、死ぬよ!!って母親と友達に向かって言ったのだ。でも母親も友達も半分笑いながらそれをやり過ごした。私は大袈裟な事態にならなかったことと、笑って誤魔化されたという悔しさとで、感情がごちゃ混ぜになった。その後は何事もなかったかのようにその日は終わったと思うが、時々ふとこの出来事を思い出す。

あの時、自分は心の底からお母さんを求めていたんだろうなぁって思います。どうしてあの時の私の気持ちをもっと汲み取ってくれなかったのって。(小学生が包丁持って死ぬよって・・・やばいよね笑)

今になって、自分の求めていたもの、今現在満たされていないものに気づいて愕然としています。もっと早く素直に求められていたらなぁ。

 

自分がどう思っているとかの心のうちを親に話すようになったのは、つい最近のこと。聞いてもらうというよりかは、大人同士の意見交換の中でだと思うけど。

心理学的に、それが親でないといけないということがあるのかな?

恋人や配偶者や友人(いわゆる他人)でも、成り立つことなのでしょうか?

私はありのままを受け止めてもらえる人がいるとは、今のところ到底思えていない。そんなことあり得るのか!?レベル。だから、自分の存在価値や存在意義が未だに分からないのかもしれない。

 

 

 

 

変化した私の習慣。

今週のお題「お風呂での過ごし方」

 

初めて「今週のお題」に挑戦してみます。

「お風呂での過ごし方」

 

ほうほう。

お風呂ですか・・

私は1年のうち、多い時350日ぐらいはシャワーで済ませます。それが普通!大学時代にアパート暮らしを始めた時からそうですね!

 

私には少し変わったところがあって、自分のプライベートな習慣をやたら滅多に変えることがないのです。不便でなければ、深く考えず、そのままその習慣を続ける癖がありました。別にこだわりという類のものでは決してなくて、差し障りなく、生活を続行できるから、ぐらいの感覚です。

その一環として、お風呂の入り方もいつしか固定化され、それがシャワーのみで入るということでした。そもそもそういう癖がつき始めた当初は、1年365日毎日そうでした。湯船に浸かるという概念すらないのかという日々。。実家にいた時には、当たり前に湯船に浸かっていたのに。

 

私がシャワー生活をしていたのには、もう一つ理由があります。

もともと熱い湯船に長く浸かっていられない性分だからです。

思い返してみると、小さい頃からそうで、10数えたら出ていいと言われて、一生懸命数を数えて、すぐに上がっていた記憶があります。

 

なぜかというと、まず、湯船に浸かって、することがないというのが大きな理由でした。

小さい頃は家族と入っていたので会話があったり、ガーゼ(時代を感じる)で遊んだりして多少は長く浸かっていたと思うのですが、中高生になると一人で入るので(うちのお風呂が団地のために狭かったから)、することがないのです。しかも横に長くて足が伸ばせるような豪華なバスタブじゃなくて、正方形の形のホーローバスにいつも体育座りをして入るようなところ。お風呂が好きになんてなれませんでした。。

 

そんな万年シャワー生活をしてきた私に変化が訪れたのは、コロナ禍に入ってから。2020年初夏から少しずつ時間に余裕が持てるようになってきました。

今まではプライベートの時間すら気を張っている生活の中、急に自由な時間を投げて寄越されて、正直戸惑いました。

そして、その時間を何に使おうかと考えたときに、この際これまで感じてきた体や心の不調の回復のためにも、ふと自分を大事にする時間にしてはと思ったんです。

そしてそれが、きちんとお風呂に浸かることでした。

 

社会人となって、確実に体に負担がかかってきていることを、他の誰でもない、私自身が自覚し始めていました。

PMSHSPであるが故の心の負担もどんどん増していって、その解消法などをググる日々の中で見つけたのが、睡眠の重要性とともに、お風呂に浸かることだったんです。

しかもそこに書いてあったのが、40度ほどの少なめのぬるま湯に、1時間ほど浸かっていることだったので、私のお風呂嫌いの理由の一つである熱いお湯に浸かっていられないというのがクリアになりました。

 

同時に、私は時間ができた時期に、それまで周りに見ろと言われても手をつけなかった、youtubeをみるようになっていました。

そこで、これをお風呂で見れたら、youtube見てる時間も無駄にならないし、お風呂でデトックスできる時間も確保できて、超一石二鳥じゃない!?と、私はピーンときたのです!!

 

と、いうわけで、人生でこんなにお風呂が大事だと感じることがあるとは思っていなかった私ですが、晴れてそのときを迎えました。

もちろん働く身で、毎日優雅にというのはまだ難しいですが、たまに早く帰れた時や、翌日が休みの時などに、思いっきりyoutubeを見て、汗を無理なく流しながらストレス発散をしています。

 

あ、その時に大事なことを一つ。

無理して、その日の反省をしない!ということです。

もちろん自然と感情が溢れてしまう時は、身を任せますが、わざわざ嫌なことをリラックスタイムに思い出したくないじゃないですかぁ?笑

それでいいと思っています!

 

皆さんの「お風呂での過ごし方」、このあとぜひ読ませていただきたいです!

 

 

HSP大爆発した日のこと。

先日、水曜日にやっている企画番組を目にする機会があった。

少し疲れていた私は、その番組を見ながら大号泣してしまった。

どちらかというとおもしろ企画をやる番組のイメージがあったが、その日はある漫才コンビの不仲を取り持って、仲直りしてもらおうというものだった。しかも今回で3回目だというから、殊更に興味が沸いた。

 

しかし、見初めて少し経ってから、ほんのちょっと後悔した。それは想像以上に二人の仲の悪さがガチンコだったからだ。

大の大人の男性(もうおじいちゃんみたいな方達)で、いい年したおっちゃん二人が、人の目も気にすることなくお互いに意地の張り合いをして、怒鳴り合いをしている映像なのよ。

 

45分間ほどの番組を見終わるまで、いろんな感情で号泣してしまいました。

いや待て、自分相当な情緒不安定や。

 

泣いちゃった理由は、おじいちゃんとして見た時のその人の切なさややりきれなさや悲しさ・悔しさなど、さまざまな心を汲み取りすぎたから。

番組企画だから仕方ないけど、片方の娘の結婚式の場で仲直りさせようとしていたので、その場で修羅場が勃発したのですよ。いくら何でもその設定は・・ねぇ。

そうなると、お父さんとしてのプライドとかあったもんじゃないよね。相方にボロクソ言われても「むっ」とした顔しかしないその人を見ていると、「なぁんでこんな場でそんなボロクソ言われんといけんの〜泣」って、感情移入しすぎて、もうそこで死ぬほど泣いた。もちろん、どちらかが悪いというわけでもないし、当人同士にしかわからないわだかまりがあってのことだから、どちらかが被害者ということではないんだけれども。

 

そのあと、何悶着もありながら、最後に奇跡的な展開で二人は見事仲直りをして、漫才を続けるという決断をするのです。

ここまで本当に何回堪忍袋の緒が切れちゃうのよ〜泣!と、ハラハラ展開が多かっただけに、最後の急展開でさらに涙腺が・・・!

 

自分でも何でこんなに泣いちゃうんだろうと、泣きながらも冷静に考えてる部分があって。

これはね、私自身のHSPの部分が大きく影響していることは間違い無いのですよ。怒っている人がいたら、自分が怒られたように萎縮するし、喧嘩している場面をみると、関係ないのに割って入って平穏な空気にしたいとか思うし。

あと、おじいちゃんやおばあちゃん世代の人への共感がすごい。私にはどうしても社会的弱者に見えてしまっているからなのだろうけど、そんな人たちがもし責められていたり、怒られていたりすると、とにかく自分のことのように胸が締め付けられて、死にそうになる(マジで)。

 

というわけで、今回も感情移入の嵐で大泣きしてしまった私なのでした。

 

それにしても、あの番組はここ数年テレビ見てる中でも、本気だったなぁと感じる。半端じゃなく心に残ったし、いろんな感情を呼び起こされて、かなり衝撃的でした。

終わったあと、Twitterでも相当に話題になってて、同じように感じる人がたくさんいるんだなぁと少し安心したりもするのでした。

自分を大事にできる余裕が欲しい。

 


昨日までの自分。つま先に小石がぶつかり、前につんのめっておっとっと!とやってる状態。お分かりいただけるだろうか・・?笑

日常生活が続いていくと、何かが起きたわけでもないのに、事件事故ギリギリの生活をしてしまうことがある。危うく大ごけでもしたらそれはもう目も当てられぬ大事故だ。

 

昨日までの私は、そんなおっとっとの状態をもう数ヶ月も過ごしていて、前につんのめっている片足の体力も限界も限界でヤバかった。

この状態は具体的にゆうと、精神不安定さが半端ないということになる。独り言が多かったり、人に対して必要以上にイライラしたり、あらゆる音が騒音となって聞こえてきたり。このイライラをコントロールできない状態と言ったほうが正しいのかな?

正直、コントロールできない状態が少しずつ表面化してきていたので、危険信号に気づいたのだ。マジで赤いランプぐるっぐるに回ってて、サイレンばりうるさい状態よ。

 

職場で暴言を吐いてしまったのだ。

『あぁ〜やっちまった・・』とは思ったよ。でももう止められないわけよ。だけど、それ以上何か表面化してしまったら、私は干されるという危機感もあるぐらいヤバかったね。

 

だから朝起きた時に目眩がすることを自分の正当理由として、午前休を取ることにした。何の予定もなかったけど、自分の心の安定を保つための休みで何が悪いんだと、真っ当に思えたので、上司に申告した。

 

午前中が休みになった私は、まず昨晩、服も脱がず、洗顔もせず、お風呂にも入らず、コンタクトレンズも入れっぱなしだった状態を、清算した。精神的に追い詰められた状態になっているときは、夜のリズムが全くだめになるのだ。

それから毎日洗面所に行くたびに気になっていた洗濯物を洗濯機に入れ、きちんとタオル類とその他で分けて2回回した。

いつもは仕事に行くという便宜上、何かお腹に入れなきゃという半ば義務感で摂っていた朝食も、この日はお腹の具合を見て、昨晩暴食していたので、コーヒーのみにしてみた。そうしたら全くお腹空かないし、胃は苦しくないし、本当に心地が良かった。

 

やってるうちに、せっかく平日だし、ほんまに私用ということで、行政機関に行こうかなと頭をよぎったが、「いやいや待て待て。何のために今日3時間の有給を使っているんだ?ちゃんと休め。」と私の中の正論ヤロウが囁いてくれたおかげで、しっかり休息を取ることができた。

 

洗濯を終えたあとは、部屋を小綺麗にして、ベッドで横になった。いつもこれぐらいの余裕を持って仕事に行けたらなぁと思うが、現実はそうもいかない。もっと上手に毎日を過ごせたらいいのにと思うけど、すぐに直るわけもなく、もうしばらくは上手く疲れを逃しながらやっていくしかないんだなぁ。

 

そんなわけで、今後も自分が心身ともに健康であるために、上手く休みを取っていこうと思うのでした。